サカナクション「忘れられないの」が再注目 平成カルチャーの再提示とリバイバル、現象の核を考える

デバイスの変化と共に進化してきたオリジナル作品への文化の昇華

 筆者をはじめとしたアラサー世代は、ニコニコ動画を介してハチ=米津玄師の誕生に立ち会い、ヒカキンがYouTubeを飛び越えてスーパースターになってゆく様子を見てきた。西野カナが「mixi」のアカウントを作り、ファンとの交流を試みたのは2008年。西野の作詞の特徴だった「ケータイ文法」(モバイルフォンを用いた作詞方法)は、当時のブログやメール、SNSの文化と密接に関係していることは度々指摘されてきた。

西野カナ 『会いたくて 会いたくて(short ver.)』

 重要なのは、この現象が“リバイバル”でも起きているということだ。シティポップはレトロフューチャーなイラストや世界観を携えて再販や再解釈され、平成ポップスはネットミームとなって再び我々の目の前に出現している。

 SNSの登場によって主体性はユーザーの側に移り、発信者の数だけ情報が増えた。その結果、社会はさまざまなカルチャーを受け止めきれなくなったのかもしれない。今のリバイバルは、ある意味でリスナーが拾いきれなかったものへの再定義でもあるのではないだろうか。それは「愛のしるし」や「さくらんぼ」などに顕著な過去作の参照だけでなく、「忘れられないの」でサカナクションが80年代シティポップを再提示したように、オリジナル作品にも反映されているように思われる。

 “リバイバル”という点、さらにそこに伴うアイデアに絞ってみれば、ここ数年で、それは日本に限らず世界においても新たな動きを見せてきた。Daft Punkが2013年に発表したアルバム『Random Access Memories』は、過去のさまざまな音楽作品を参照しながら、ふたりのフランス人が“ロボット”というフィクショナルなキャラクターを通して完成させた傑作だ。そんな作品に対して、彼らは「自由(ランダム)に読み書き(アクセス)ができるメモリ(記憶領域)」と名付けたのである。すなわち、本作の世界観における音楽はすべてデータベース化され、文字通り自在に組みかえることができると定義したのだ。

Daft Punk - Get Lucky (Official Audio) ft. Pharrell Williams, Nile Rodgers

 まさしく、ジャンルや時代感が喪失した現在の音楽シーンを言い当てているように感じられやしないだろうか。2021年、膨大なアーカイブをもとにプロデューサー/DJのMadlibがリリースした『Sound Ancestors』もまた、過去を見ている。いや、彼らからすると、過去にこそ未来があるのだ。

 その先にある世界ではもはや、“リバイバル”という言葉さえもチープに聞こえるのかもしれない。

※1:https://www.vice.com/en/article/mbzabv/city-pop-guide-history-interview
※2:https://pitchfork.com/features/article/the-endless-life-cycle-of-japanese-city-pop/

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