ラッパ我リヤ「ヤバスギルスキル」の“ヤバさ”とは何なのか? 30年近くにわたる一大サーガを徹底解説

 真昼の直射日光を浴びながら原宿の路上を歩いていたときに届いた「ラッパ我リヤ『ヤバスギルスキル』全シリーズについての解説原稿をお願いします」、そんな奇特なオーダーがこのテキスト離れの時代にありえるのか……という白昼夢のようなメール。夜になって確認してもリアルサウンドからそのメールが間違いなく届いていたので、夢や幻覚ではなかったようだ。なので改めて日本語ラップ界に燦然と輝く、そして30年(!)近くにわたる一大サーガであるラッパ我リヤ「ヤバスギルスキル」について解説したい。そして、なにしろ筆者も30年近くに渡って「ヤバスギルスキル」に大いに洗礼を受けている身なので、私情込みなのもご了承願いたい。

ラッパ我リヤ

 まず「ヤバスギルスキル」が最初にリリースされた時代の背景をおさらいしよう。スチャダラパー+小沢健二「今夜はブギー・バック」、そしてEAST END×YURI「DA.YO.NE」がリリースされ、日本語ラップの認知度が飛躍的に上がった1994年。その波に反響するように翌1995年には、RHYMESTER 『EGOTOPIA』、Lamp Eye『下克上』、MICROPHONE PAGER『DON'T TURN OFF YOUR LIGHT』、キングギドラ『空からの力』など、アンダーグラウンド勢のクラシックのリリースが展開された。

 そして「ヤバスギルスキル」シリーズの第一弾が収録されたコンピレーション『悪名』も、同じ1995年にリリースされた。

 『悪名』はライター/クリエイターの萩谷雄一氏(現在は食べログ百名店にも選ばれる日吉の名店「HI HOW ARE YOU」店主)が編んだ、現在から比べると何万倍もマイナーな存在だった日本語ラップの、これまたアンダーグラウンドな存在のアーティストをキャッチアップしたコンピレーションCD。ヒップホップ専門誌の『FRONT』(blast)が月刊化される以前の、CDショップでも「日本語ラップコーナー」はほぼ皆無だった時代であり、このコンピでアンダーグラウンドな日本語ラップの存在を知ったリスナーもかなり多いであろう。かくいう筆者も千葉のタワーレコードの試聴機で聴いて、「こんな世界があるのか」と飛び上がるほど驚いた一人である。

 萩谷氏の手掛けたインストを除くと、RINO(RINO LATINA II)「もうひとつの世界」から始まり、TWIGY「AN-CHO-VY~百鬼夜行~」で終わる構成からは、同時期にリリースされたLAMP EYE「証言 featuring RINO,YOU THE ROCK★,G.K.MARYAN,ZEEBRA,TWIGY,GAMA,DEV LARGE and DJ YAS」と共に、雷勢の熱気を感じさせる本作。そしてNaked ArtzやHILL THE IQ Feat. ZEEBRA、RADICAL FREAKS Feat. MC JOE、萩谷氏も参加していたDJANGO、DJ TATSUYA、DJ TONKといま聴いてもバラエティ豊かなアーティストの楽曲が揃った名コンピの3曲目を飾るのが、「ヤバスギルスキル」なのである。

 はじめて聴いた当時の筆者は「ライムはこんな風に使っていいのか!」と衝撃を受けた……今の観点から言語化するとこうなるのだが、もっと単純に言えば「ウケた」。なにしろ曲の入り口が〈毎日働くフリーアルバイター/ムカつくとすぐキレるストリートファイター〉である。はっきり言って「何を言ってるのだ!?」である。その後も〈啖呵切るぞ何か変か 実ぁかかあ殿下/だが タンマ俺なりの男の挽歌/山田を音読みにするとサンダー〉と山田マンは韻を駆使して言葉を畳み掛ける。そしてQも〈MCの度量 スキルのみぞ知る/たっぷり具の入ったお味噌汁〉と始まり(〈お味噌汁〉に続き「パート2」での〈最上級の技量と云えましょう〉という、Qの敬語/丁寧語使いには悶絶させられた)、〈お見舞いだ奇々怪々なライム/言葉で君の性感帯を愛撫/だいぶハマってきたな こりゃほらそらどうだ/ここかこれかこのマイクぶち込んだろうか〉と謎のベッドヤクザ(©みうらじゅん)的下ネタを展開する。

 『悪名』でいえば、現在の基準からしてもキレキレなスキルのRINOや、現在でも不変の独特の言語感覚とフロウを聴かせるTWIGY、洒落たカフェでかかってもおかしくないNaked Artzという中で、メッセージらしいメッセージではなく、発声して気持ちいい言葉でとにかく韻を踏み、韻の飛距離と接着面の妙で面白いことを言う、ピュアすぎる「ラップへのフェチズム」を形にするラッパ我リヤは、異常であり異様でありオリジナル、そしてなによりファニーだった。そりゃリスナーとして衝撃を受けますよ、「なんだこの世界は!」と。

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