「バラエティに出るほど嫌われていった」 “炎上クイーン”中井りかが振り返るアイドル人生

中井りかが振り返るアイドル人生

 この夏でNGT48を卒業する中井りか。メジャーデビューシングル曲「青春時計」でセンターを務め、個人で数々のバラエティにレギュラー出演する一方、毒舌キャラで“炎上クイーン”と呼ばれたりと、8年間のアイドル人生は波乱万丈だった。卒業前最後のシングルでセンターを飾り、8月には新潟での卒業コンサートも控える彼女にそんなアイドル人生を振り返ってもらう。(斉藤貴志)

バラエティは本当は嫌でした(笑)

中井りか(写真=友野雄)

――中井さんはNGT48の最初の劇場公演でのポジションは、3列目の端から2番目。そして、1年後のデビューシングル曲「青春時計」ではセンターになりました。その間、どんな努力をされたのですか?

中井りか(以下、中井):自分なりにできることは全部やりました。誰よりも目立とうと思って、一番後ろにいても誰よりも高く跳んだし、人一倍大きく踊ろうとしていました。人の手が伸びる範囲は限られていても、肩まで伸ばしたらもっと届くんです。それで見え方がすごく変わって。そういう研究をしたり、MCで他のメンバーが話していても、誰よりリアクションを取ったり。とにかく、どんなポジションにいても「私から絶対に目を逸らさせない!」と思っていました。

――もともとダンスには自信があったんですよね?

中井:「なんで私より踊れない子たちが、私の前にいるの?」と、ずっと思っていました(笑)。与えられたポジションが客観的な自分に対する評価なのに、一人よがりで目立とうとしていたら、他のメンバーからは嫌われますよね(笑)。でも、そこを乗り越えられるかどうかで、未来が変わるので。いいと思ったことを全力でやるだけ。周りなんて関係ない。自分の人生が良くなれば、それでいい。当時の私はそう考えて突っ走っていました。

――今ではアイドルなら誰もが当たり前にやるSHOWROOM配信にも、いち早く力を入れていました。

中井:私、勘だけはいいんです。48グループが新しくSHOWROOMに参入すると大々的に発表して、3列目の私はここで話題にならないと陽の目を見られない。たぶん自分は配信は得意だという直感もあったので、頑張ることに決めました。私は早く帰って配信したいのに、グタグタ仕事を続けさせるから、「早くしてください!」とよくスタッフさんと喧嘩をしました(笑)。そうこうしながら、自分の居場所を見つけられたのは良かったです。

――最初の頃はどんな配信をしていたんですか?

中井:でんぐり返しをしたり、変な替え歌を作ったり。配信を始めた2週間後には、「りか姫の絶対条例」を出しました。「浮気はしない」とか24条のルールをファンの人に伝えて、面白がってもらって。私の配信を観ることが、ひとつのステータスになるように頑張りました。

――いろいろ考えて、やっていたんですね。

中井:今は喋っているだけですけど(笑)、当時は事前に「こういう内容にしよう。こんな流れでこう言おう」と、全部紙に書いていました。SHOWROOMは48グループ全体でやっていたので、新しいグループだったNGT48への導線を引けると思って。私自身がNMB48さんのファンでみるきー(渡辺美優紀)さんが憧れだったので、NMB48さんの曲を歌ってファンになってもらおうともしました(笑)。

――企画がスベったり、炎上したりはしませんでした?

中井:炎上というのは有名になるにつれて発言に意見してくる人が増えるから起こるもので、私はもともと思ったことを全部言う人なんです。そのスタンスでSHOWROOMを始めて、最初は何を話しても「可愛いね」と言われていたのが、2018年の『AKB48選抜総選挙』のSHOWROOMアピール配信イベントをきっかけに「1位の中井りかって誰?」と興味を持った人や、その順位に納得がいかない人たちに叩かれ始めて。ちょっと強いことを言うと燃えるというか。何を言ったら叩かれるのかわからず、気にせずにありのままを続けていたら、いつの間にかすごく炎上していました(笑)。

中井りか(写真=友野雄)

――ともあれ、メジャーデビュー後の中井さんは『選抜総選挙』(2017年)で23位に入り、個人仕事も増えたりと、グループの顔になりました。今振り返ると、調子に乗っていたと思うようなところもありました?

中井:思い切り調子に乗っていましたね。ビッグウェーブでした(笑)。調子に乗れるときは乗っておこうと思って、それも1つの思い出ですけど、迷惑を掛けてしまった人たちはいました。とにかく忙しくて、今みたいに周りに気を配れなくて。やりたいこと、やらないといけないこと、目の前にあることが全部違う。そのうっぷんを、周りの人に当たることでしか晴らせなかったんです。

――いろいろあったんですね。

中井:私はNGT48の運営に推されていたわけではなかったので。48グループの中で目立って、秋元(康)さんに見つけていただいたというポジションで、シングルでセンターになっても、NGT48のイベントでは端っこで踊っていました。だから「私は頑張って仕事をしているのに、何で?」というのが爆発して、調子に乗っているように見えていたでしょうね。メンバーの輪からも外れたところにいて、味方はいませんでした。

――バラエティ番組でMCを務めたりするようにもなりましたが、そういう個人仕事にもやり甲斐は感じていました?

中井:バラエティは本当は嫌でした(笑)。私はアイドル活動が好きだったんです。歌ったり踊ったり、可愛い衣装を着てみんなの前に立つのが楽しくて。そのアイドル活動で前に出るために、バラエティを頑張っていました。だけど、バラエティに出れば出るほど、私は嫌われていって。

――中井さんの毒舌キャラは、テレビで観ている分には面白かったですけど。

中井:毒舌キャラは、番組的には盛り上がりました。バラエティの趣旨には合っていても、私は全然得しない。そういうことが続いて、「やる意味があるんだろうか?」と思うようになりました。

――中井さんの知名度はすごく上がりましたが……。

中井:嫌われることによって知名度は上がって、グループでも前に出られて。だからやるしかないと板挟みになっていました。カメラが回ったら、楽しくやらなきゃと思うんですけど。

――SNSで反響を見たりもしていました?

中井:その頃は心が壊れてしまって、エゴサはできなくなりました。ファンの人が何を思っているのかも届かないし、自分とも向き合えない。そんな状態が続いたのは辛かったです。さらに、コロナ禍でアイドル活動ができなくなって。個人の仕事だけになると、メンタル的にますます「うーん……」となっていました。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる