THE ALFEE、50年間活動を続けたことへの誇り 高見沢「ここで弱気にならないようにと言い聞かせている」
「音楽を辞めてしまおうと思ったことは一度もなかった」(坂崎)
ーー3人が交代でメインボーカルを務める「Never Say Die」は、ライブで盛り上がりそうです。
高見沢:そこは、常に3人それぞれの個性を活かせるような曲を作ろうと思っていますからね。この曲のスイッチボーカルこそが僕らの真骨頂でしょう。サウンドは、アコースティックのイメージを残しつつ、ハードロックの要素を入れてみました。坂崎が弾くD-45のアルペジオ・フレーズをメインにしたかったので、その点は上手くいったと思います。とにかく!「Never Say Die」はイントロからアウトロまでどこを切ってもALFEEになりましたね。
坂崎:ロック調の曲の中に生ギターを入れる、こんなややこしいことをやるバンドは僕らぐらいかもね(笑)。とにかく、聴いてきた洋楽には生ギターを活かしている楽曲が多かった。例えば、The Beatles、The Rolling Stones、The Doobie Brothersとかね。そういうのは、ALFEEのお家芸ですから、特別なことをしている感覚はないですね。ただ、音の重ね具合に関しては、ALFEEならではでしょうね。それに、今の時代、エレクトリックとアコースティックが一緒に鳴ってる曲って、ちょっと珍しいのかもしれない。
ーー確かにそうした傾向はあるかもしれません。この曲からはアコースティックギターならではのグルーヴ感やサイケデリックな音像も感じられます。
坂崎:そう、アコースティックギターというと、フォークやバラードのイメージが強いですが、ものすごくロックな楽器ですよ。もともと過激な楽器でもあったはずで、そういう部分もリスナーの方々に感じていただきたいですね。
高見沢:やっぱり、プログレっぽい感じの生ギターがあるだけで曲の印象はずいぶん変わりますからね。この曲はエレクトリックとアコギのバランスが上手く作れたなと思います。
桜井:オケを初めて聴いた時は「これは厄介な歌がきたな」なんて思いましたし、「演奏しながら歌えるのか?」みたいな心配もありましたが(笑)、完成したものを聴くとすごく綺麗にできていて。ただ、「Never Say Die」も「鋼の騎士Q」もサウンド的にはそれぞれ異なることをやっていますが、歌詞の世界は2曲ともどこか近いものがあるんです。
ーー桜井さんがおっしゃるように、2曲に共通するイメージもありながら、「Never Say Die」の歌詞にはよりアグレッシブで力強い印象を抱きました。
高見沢:僕らは今年が結成50周年、来年がデビュー50周年を迎えるわけですが、“Never Say Die”というタイトルの通り、「50年経っても弱気になるなよ!」という自分達に向けたメッセージでもあります。50年活動したからといって特別偉いわけではないですが、これから先も色々あると思うので、ここで弱気にならないようにと言い聞かせているわけです。
ーーこの2曲では「自分を信じることの大切さ」も歌われているように感じましたが、みなさんは「自分を信じる」ということについてどう考えますか。
高見沢:若い頃は自分を信じるって、結構ハードルが高かった。3人でやりたい音楽を見つけて、やり続けたことが功を奏したのでしょう……こんなに長くライブツアーが出来るなんて思ってもみなかった。そういう日々のコツコツしたライブ活動の積み重ねが、少しづつ自分たちの自信になっていったんだと思います。
坂崎:そうそう。少しダメなことがあったらすぐにやめちゃうとか、ある程度まで続けられないと、自信は生まれないからね。
高見沢:何事も、まずは自分の好きなものを見つけるのが大事かもしれないですね。
ーー80年代くらいのTHE ALFEEは、見ている側からすると快進撃のようにトップへ登っていった印象がありますが、その内側では様々な葛藤や戦いもあったと?
高見沢:もちろんありましたよ。それは音楽に限らず、どんな分野でも、その裏側は大変なものです。特に80年代の頃、僕らは無我夢中でしたよ。
坂崎:確かに怒られることも、ムカつくこともしょっちゅうあった。でも、音楽を辞めてしまおうと思ったことは一度もなかったですね。
ーーそうした歴史があって、今のTHE ALFEEがあるのですね。さて、「Never Say Die」の歌詞の中にある〈風の時代〉という言葉は、最新ツアーのタイトルにも使われています。
高見沢:“目に見えないモノ”に価値を置く時代という意味合いの言葉ですが、それは音楽にも言えることですよね。コロナ禍でツアーやコンサートが不要不急と判断される中でも、音楽自体は不要不急ではない、というのが僕の中の答えで。やっぱり、暗い空気が溢れている時こそ、音楽は必要だと思います。今振り返ると、音楽はウイルスに勝つぐらいの力を持っていると信じて、楽曲創作に没頭した3年間でしたね。当然、コロナは前代未聞の特殊なウイルスでしたから、コンサートが中止になるというのは仕方のないことでした。ただ僕らは“トラベリング・バンド”と銘打ってやってきたのに、それができないのはかなりきつかった。それを乗り越えるために猛烈に楽曲創作に没頭した次第です。