エド・シーラン、紆余曲折を乗り越えた渾身作 アーロン・デスナーのプロデュースで導かれた“悲しみの先にある深い愛”
2023年5月5日にエド・シーランの5thアルバム『―(サブトラクト)』がリリースされた。エド・シーランがデビューから10年以上かけて作り上げた、数学記号を冠したシリーズ「マスマティックス・プロジェクト」における最後の作品となっている。「Shape of You」などの爆発的ヒットで知られているエド・シーランだが、彼の直近の境遇についておさらいしながら、最新作について紹介したい。
エドにとってこの1年間は悲しみに溢れていた。2022年2月には、第2子を妊娠中の妻が癌だと診断され、出産するまでは治療が行えないと診断されたほか、彼にとって親友であり、もはや兄弟のような存在だったジャマル・エドワーズが亡くなった。さらには2014年のヒット曲「Thinking Out Loud」がマーヴィン・ゲイ「Let's Get It On」を盗作したとして告訴され、自身の名誉のために法定で闘っている最中だった。エドはこれらについて、以下のように振り返っている。
「僕は恐怖、鬱、不安のなかに落ちていった。水面の下で溺れているような感覚で、上を見ているけど、酸素を吸うために上がれないような感じだった」(※1)
そのような状況で制作された『―(サブトラクト)』だが、近年のアップテンポでキャッチーなポップスやヒップホップへの愛を示した楽曲ではなく、アコースティックなルーツを踏襲した作品となっている。テイラー・スウィフトの『folklore』『evermore』(2020年)のプロデュースも務めたThe Nationalのアーロン・デスナーが共同作曲/プロデュースで参加しており、彼のマイナーコードを基調としたアレンジもこのアルバムのトーンに大きく貢献している。
サウンドも歌詞も、まさに彼の生の感情を綴った日記のような作品と言えるだろう。アコースティックギターの弾き語り曲で、ボーカルに込められた痛みを聴かせるようなミックスの「Boat」から始まり、M2「Salt Water」では音がこもったバスドラムとピアノによって切なさとやるせなさが表現されていることが、何より象徴的だ。エドの妻は、Disney+で公開されたドキュメンタリー『エド・シーラン:The Sum Of It All』にて、「がんの診断を受けた次の日、エドは地下室に行って4時間で7曲を書いた。ペンで日記を書いて感情を発散する人もいるけど、エドは何か重い出来事が起こると、曲を書く」と発言している。
また、一聴すると悲しみ、痛み、鬱、不安などの感情が目立つなか、希望に気がついていく展開も印象的だ。彼は大切なものを失った悲しみと、さらに失う恐れを抱えるなかで、自分のなかに“深い愛”があることを実感する。M13「No Strings」でも語られているように、彼は悲劇を通して“壊れない絆”を感じるようになるのだ。今年3月27日にロンドンで開催されたライブのMCでは、以下のように語っていた。
「結婚したとき、父親に『死や深刻な病気に直面したとき、初めて本当の愛と結婚というものを知ることになる』って言われたんだ。彼は昔、母親と結婚したときにその経験をしたから、僕にそれを伝えたんだ。それは家族内で本当に起こった悲しいことであり、乗り越えなければならないものだった。
それがきっかけでさらに家族は団結し、絶対に壊すことができない絆が生まれたと父親は言っていた。(中略)僕らにも昨年、その壊れない絆が生まれたと思う。本当は結婚・出産前からその絆を感じるべきなのかもしれないけど、今は2022年を一緒に乗り越えることができたのであれば、何でも乗り越えられると感じているんだ」(※2)