西野恵未、ドラマ『作りたい女と食べたい女』を経て完成した初のソロ曲「暁」 “春日さん”と自身の共通点も明かす

 キーボーディストとして様々なアーティストのライブやレコーディングに参加してきた西野恵未が、初のソロ楽曲「暁」をリリースした。昨年11月から放送されたドラマ『作りたい女と食べたい女』(NHK総合)では“春日さん”こと春日十々子役で俳優デビュー。ドラマの仕事を経て完成させたという「暁」では、あえて自身は鍵盤を触らなかったそう。『つくたべ』チームとの出会いや「暁」に込めたメッセージ、そして今後の音楽活動についてまで話を聞いた。(編集部)

突然の『つくたべ』出演に至るまで

――昨年11~12月に放送されたテレビドラマ『作りたい女と食べたい女』(NHK総合)に出演し、“食べたい女”の春日十々子役が話題となった西野さん。俳優デビューは思いもよらぬオファーがきっかけだったそうですね。

西野恵未(以下、西野):私はこれまで、スタジオミュージシャンとしていろんなアーティストのレコーディングやライブのサポートの活動をしてきたんです。そんな中、昨年、あるアーティストの企画ライブで演奏していたときにたまたまドラマの脚本家さんとプロデューサーさんも会場に遊びにいらっしゃっていて「あれ、春日さんじゃない!?」と。初めて見る私の姿に役のイメージと重なるところがあったらしく、InstagramのDMでご連絡をいただき、オーディションを受けさせていただいて……というかたちでスピーディーに話が進んでいきました。

――そんな運命的なエピソード、あるんですね。バックミュージシャンとしてステージに立っていた西野さんに芝居のオファーを……というのも驚きです。

西野:そこはさすがにちょっと悩んだみたいです(笑)。スタジオミュージシャンだから表に出る仕事はやってないだろうし、まして演技経験なんて……と。ライブの当日はお2人の中で一旦そういう話で終わったらしいんですが、“ダメ元でお声がけしてみたら”ということで連絡をくださったんです。

――西野さんは演技に興味はあったんですか?

西野:以前、友人の自主映画に少しだけ出演したことがあって。ただ、自分の役だったので演技の全貌は見えておらず、映像の世界ってどんな感じなのだろう? という漠然とした思いはありました。今回、原作漫画の表紙を見たときに、ジャージを着ている春日さんの絵が自分によく似てると思ったのと、いろんなコンプレックスを持ったまま大人になったという背景が、中身は違えど理解できるところがあって。こういうお話をいただいたということは自分がやる必要があるんじゃないか、よしやってみようと思いました。

――そこから怒涛のような日々が始まったと。

西野:そもそもDMをいただいたとき、私、演奏の仕事でドイツにいたんです。数日後に帰国して、その帰りのタクシーで初めてプロデューサーさんと電話で話し、2日後にオーディションという形でNHKの方々にもお会いして。クランクインまでの1カ月間は、自分の普段の活動も並行しつつ、朝7時から体づくりのジム、夜はいろんな先生がついて演技レッスン……という感じで、濃厚な準備期間でした。

――撮影はどうでしたか? 緊張はありませんでしたか?

西野:現場に行ったらもう主演の比嘉(愛未)ちゃんが目の前にいて、私はスッとそこにいれば良かったというか。座長の比嘉ちゃんが初日から明るく現場を引っ張ってくださって、私も自然と「楽しい〜!」って言葉が出たり、その雰囲気に染まれた気がします。緊張し始めたのはなぜか3日目くらいから。急に現実味が出てきて、何か今日は緊張する……みたいな。自分が今どんな場所にいるかというのを実感してからは、どんどん緊張が増していく感じでした。

――食べることが大好きな役でしたが、そのあたりの苦労はありましたか?

西野:人気料理家のぐっち夫婦が監修してくださった料理がすごくおいしくて。無理していっぱい食べるということも一切なく、食事シーンは楽しかった記憶しかないです(笑)。(比嘉演じる)野本さんのルーツである仙台味噌の焼きおにぎりや仙台麩のお味噌汁など、外で食べるものより家庭で出てくるようなお料理の味が印象に残っています。

――オンエア後は視聴者からの反響も大きかったのでは?

西野:言い方が合っているか分からないですけど、スタジオミュージシャンは“裏方”で、支えることがお仕事。“看板の人”がいての自分という立ち位置で意見や感想をいただくことがほとんどだったんですけど、今回はダイレクトに私に反響が来るなって。ドラマを見てから、本業はミュージシャンだと知ってくれた方もすごく多くて、そういう経験は初めてだったし、ありがたいなと思いました。

「暁」の制作にもドラマとの出会いが影響

――ドラマ終了後の昨年12月15日には、個人名義として初のソロ音源「暁」をリリース。資料には、一年前の2021年の年の瀬から構想を練ってきたプロジェクト、とあります。

西野:そのくらいからふわっと考えていましたね。私、コロナ禍に入ったあたりに、それまで“にしのえみ”と平仮名で名乗っていたのを漢字の本名にしたんです。そしたら次は“西野恵未”で何かやりたいという感情が大きくなっていって。最初は、趣味の陶芸で個展でもやろうかな? それともピアノのアルバム? って、別に何でも良かったんですけど、ちょうどそのときに、今の私のプロモーションを担当してくれてるスタッフさんから「歌ったら?」というお声がけをいただき。自然と歌に意識が向いていきました。

――でも、そこからすぐに話は動かなかった。

西野:はい。じゃあ曲を作ろうってなって、一旦2022年の頭くらいに書き始めたんですけど、私がコロナに感染したり、体調を崩して入院したり。さらに1カ月の休養、海外での演奏活動、そして急遽ドラマに出ることになり……。

――一向に進まないですね。

西野:そうなんです(笑)。結局、「暁」が完成したのは2022年11月の末。だいぶかかっちゃいました。

――ドラマの撮影中も作業はしていたんですか?

西野:いえ、ドラマの撮影が10月の中頃に終わって、曲はその後。できた時はやっと書けたー! って感じでした。

――でも「暁」の歌詞を見ると、きっとこのタイミングだったんだろうなと。一方的な想像ですが、西野さんにとっていろんなことがあった1年を経て湧いてきた想いが投影されているように感じます。

西野:そうですね。このタイミングだったからこそ曲のモチーフが決まって、やっと腑に落ちるものが書けたなっていうのが私の中でも確かにあって。

――それは具体的にどういうことでしょうか?

西野:ドラマとの出会いがやっぱり大きかったです。『作りたい女と食べたい女』のチームの方々が素晴らしい人ばかりで、全員が平等に意見を言い合い、誰かがグッと我慢する瞬間が1秒もなかったんです。私一人がそう感じているわけじゃなく、現場でもみんながそう言っていて。世の中、仕事をしてるといろんな人がいるじゃないですか。人を虐げて自分の地位を保ってるような人に出会ったりもするし。でもそこは本当にみんなが安全圏というか。私も初めての役者仕事で委縮するかなと思ったんですけど、緊張はあっても縮こまることはなく、今まで“嫌なことがあって当たり前”と思っていたネガティブな考えが覆されたんです。みんなが自分の幸せを感じながら、思ったことをちゃんと言える世界があるといいなって漠然と思っていたけど、実際にあるんだって。

――本当に素敵なチームだったんですね。

西野:はい。あとこれはまた別の話で、今はとても元気に過ごしているのですが、ちょうどそのドラマの解禁の日に家族が急に倒れて危篤状態まで陥ったんです。それが結構堪えてしまって、当たり前のように過ごしている日々は本当に当たり前じゃないなと。誰かと会って話せるときはその時間を大切にしようというのを改めて噛み締め、さっきのドラマの話とダブルで“当たり前じゃない”というのが自分の中に降りてきたときにやっとちゃんと曲になったというか。そこから急いで歌詞を書いて、メロディをつけて、最初はピアノと歌だけの予定だったけどストリングスも入れたくなって……みたいな感じで、リリースの2週間くらい前にレコーディングが完了しました。超ギリギリです(笑)。

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