GAUZEの解散は世界にとっても大きな損失だーーISHIYAが綴る、偉大なハードコアパンクバンドの功績

 日本のハードコアパンクを作ったのはGAUZEである。

 GAUZEというバンドは、日本にとって、世界にとって重要なものであった。日本のハードコアパンクを牽引し続け、『消毒GIG』によって世に出たバンドは無数に存在する。今でも世界に多くのファンが存在する。

 自ら主催する『消毒GIG』は若手のバンドへの門戸が非常に広く、まだ埋もれているような新しいバンドも、ハードコアであれば出演させてくれ、常に東京ハードコアシーンの中心であり、シーンの活性化に重要な役割を果たしていたライブであった。

 GAUZEがいなかったら、日本のハードコアが世界にここまで認められる存在になっていないと言っても過言ではないだろう。

 日本のハードコアパンクバンドが海外進出する先駆けとなったバンドでもあり、GAUZEが海外ツアーをやらなくなってからは、『消毒GIG』を観るためだけに日本にやってくる海外の観客がいるなど、ジャパニーズ・ハードコアの代表として誰もが認める存在だった。

 近年の『消毒GIG』は常に超満員で、ライブを観るのが一苦労であり、前売り開始日にライブハウスの前に長蛇の列ができるのが当たり前で、日本のハードコアパンクのライブで一番入手困難なチケットだった。

 日本にハードコアパンクが誕生したその瞬間から、常に第一線のトップを走り続けてきたGAUZEが解散するなど、とても信じることができないのが本音だ。

 筆者たちのような、ハードコア第二、第三世代や、筆者たちの世代が影響を受けた第一世代も含め、東京のハードコアバンドで『消毒GIG』に出演していないバンドはほとんどいないだろう。筆者がやっているバンドのFORWARDが活動を始めてしばらくした頃、『消毒GIG』に誘われたにも関わらず、仲違いしていた時期のために断ってしまい、それ以来『消毒GIG』に出たことはないのだが、その自分の未熟さがひじょうに悔やまれる。

 1981年から始まった日本のハードコアであるが、第一世代のバンドがほとんどなくなっても、一番結成の古いGAUZEは活動を継続し続けた。スケボーブームがハードコアの音楽と相まってブームとなった1987年前後も、GAUZEの『消毒GIG』を中心に東京でしっかりとしたシーンがあったために、LIP CREAMとCITY INDIAN、OUTO、DEATH SIDEなど、全国ツアーによるハードコアも盛り上がっていった。

 日本のハードコアが盛り上がったのも、常にGAUZEが中心で全くブレない活動をしていたからである。LIP CREAMが解散したときも、その時点で活動していた筆者のDEATH SIDEでは、シーンの大きな観客動員の低下など、LIP CREAMの損失を埋めることができなかった。

 筆者たちの世代も、あがき苦しみ繋げていこうと頑張ってはいたが、そのときにもGAUZEの存在があったからこそ、『消毒GIG』があったからこそ、日本のハードコアが繋がっていった大きな要因だと思う。

 GAUZEの影響は計り知れないほど大きい。おそらく現在存在する日本のハードコアパンクスで、GAUZEに影響を受けていない人間はいないと思う。それが例え否定的な部分であったとしても、肯定的であったとしても、基本的に日本のハードコアパンクスの心にはGAUZEが存在する。

 事実筆者がGAUZEと仲が悪かった間も、今考えてみれば完全にGAUZEを意識していた。「GAUZEはこうだが俺は違う」というような、GAUZEを軸にした反発だった。

 GAUZEが解散してしまったことは、世界にとって大きな損失だ。これからGAUZEの存在しない現実を生きていかなければならない。そしてGAUZEの解散は、日本のハードコアの危機だとも言えると思う。

 海外でライブを行うと、日本のハードコアマニアや、日本のハードコアに影響を受けた観客たちが押し寄せる。しかし日本では残念ながら、それほどまでに観客が押し寄せるライブはほんの一握りしかない。

 その筆頭であったライブの『消毒GIG』がなくなるということは、今後若手ハードコアバンドの門戸が狭まったとも言える。このままでは世界に誇る日本の文化となった「ジャパニーズ・ハードコア」が衰退してしまう。それほどGAUZEの解散と消毒GIGの終了はショックな出来事だ。

 ガキの頃に音楽的に海外や日本のハードコアを好きにはなったが、精神的なものは完全に通っていた日本のライブハウスで形成された。そのライブハウスでハードコアのライブができるようにしていったのもGAUZEである。この大きな器の、厳しく激しいからこそ優しさと愛に溢れた日本のハードコアパンクを無くしてはならない。

 残された者たちへ、大きな置き土産を残してGAUZEはなくなった。その実績を引き継ぐのは並大抵のことではないが、これから先の未来、GAUZEの影響を受け、日本のハードコアパンクに影響を受けた人間たちは恩返しをしなくてはならない。

 残念ながらGAUZEに恩返しをすることはできなくなってしまったが、GAUZEが一生を掛けて作り上げた日本のハードコアパンクシーンを続けること、盛り上げること、繋いでいくことが、GAUZEへの最大の恩返しになるのではないだろうか。遂にというか、残念ながらそのときがやって来たのだろう。意志を受け継ぎ繋げていかなければ、GAUZEに対して、日本のハードコアパンクに対して申し訳が立たない。

 ハードコアパンクにこだわって、こだわりまくって、こだわり抜いたために、尖って、尖りまくって激しく鋭角になり、一点集中で世界を、世の中を、人の心を突き刺し、突き抜けた偉大なバンドが、同じ時代、同じ国に存在した奇跡を、これからもずっと噛みしめて生きていくだろう。

 最後にSHINがラストライブで話していたという言葉を人づてに聞いたので、ここに記しておく。

「俺はベースを弾きたかったわけでもないし、音楽がやりたかったわけでもない。GAUZEがやりたかっただけだから、もうベースは弾かない」

 こうしてSHINは、自分のベースやアンプの他にも、いつも身につけていたものなどをファンにあげてしまったという。完全にGAUZEの終わりであることが、現実として突きつけられた。受け入れる以外の方法はないのだが、あまりにもショックで、この想いが解決できるのはしばらく先になるだろう。今もまだ「時間しか解決してくれない」という現実を痛感している最中である。

 そしてFUGUさん。身体だけは本当に大事にしてください。GAUZEはなくなっても、GAUZEの歌詞は一生心の中に刻まれています。

 最後に俺が一番好きなGAUZEの歌詞で終わりにします。尖りきった歌詞と音で闘い続けてきたGAUZEであり、「言いなり」や「Pressing On」、「Distort Japan」、「Core Tick」、「消毒液」、「Children Fuck Off」、「アンチマシーン」などの曲も大好きですが、「戦場」や「One Last Kiss」、「Love Song」、「出したくないが、出ちまった」と共に、この曲の歌詞にはその反面も見えて大好きでしたし、これからもずっと好きな歌詞です。

 本当にありがとうございました。

 しかし、本当に寂しい……。

「Absinth Trip」 GAUZE

欺く相手に 唾を吐きかけ
Absinth trip 声を無くす
うつろな瞳に浮き立つ涙
漂う波に 身をまかせ

 許され愛され
 体をまるめ
 眠るやすらぎ
 Absinth trip

割れたビンに 噛み付くキッス
人形の様なおんなに 惚れて
のれんに手押しの自我の崩壊
残った物はベッドの髪の毛

 許され愛され
 体をまるめ
 眠るやすらぎ
 Absinth trip

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