SHERBETS 浅井健一&福士久美子、自然体のまま独創的であり続けた25年間 出会いから“解散撤回”の真相まで振り返る

「音のデカさじゃなくて、その中に秘めたものが一番大事」(浅井)

ーーでは、ここからはこのバンドの歩みについて振り返っていこうと思います。まず、そもそも浅井さんと福士さんは、いつ頃どうやって知り合ったんですか?

浅井:1995年ぐらい……もうちょっと前かな? Portisheadが流行った時があって、俺はあれはコンピューターで作ってる音楽だと思っとったんだわ。その時に俺もループとかコンピューターを使って曲作りたいなと思ってさ。そしたら『ワイルド・ウインター(ブランキー・ジェット・シティインタビュー集)』という単行本を書いたライターの高尾(知之)くんと福士さんが仲良かったんで、福士さんの家に行って、シーケンサーを使ってやる音楽をちょっと教えてもらったんだよね。でもやってるうちに「面倒くさいな、これ。俺には向いてないかもしれない」という感じになってきて、結局ピアノとギターで「今こういう曲作ってんだけど、やってみない?」と言って、その場で生で合わせ始めたんだよね。それが「ゴースト」とか「水」って曲だったんだわ。

ーーSHERBETのアルバム『セキララ』に入った曲ですね。

浅井:そうしたら「これだけで成立するじゃん!」みたいな感覚になって、いろんな曲を録ったんだわ。「Don’t Kiss My Tail」(BLANKEY JET CITY)とかさ。音数は少ないけど、その音にすごく魅力を感じたんだよね。BLANKEYでデカい音をやってる時代だったから、アコースティックっていうか……要は音楽って音のデカさじゃなくて、数少ない音の中に秘めたものが一番大事じゃん。それさえあればいいんだな、っていうさ。それで『セキララ』を作ってみようという話になった。

福士:ギターとピアノでやったら、私もすごくいいなと思いました。純粋なものがあるというか、BLANKEYの印象と全く違って「ベンジー、こんな音楽もやるんだ」って思ったな。

ーーその頃の浅井さんは自分の音楽をどう広げていくかを考えているタイミングだったと思います。BLANKEYの1994年のアルバム『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』はそういう作品だったと思いますし。そして、そこからSHERBETが生まれたんですね。

浅井:うん、SHERBETになって『セキララ』を出して。それからSHERBETSになったんだよね。

福士:その頃、ソトちゃん(外村公敏)と仲田さんは、SHERBETのギターだった水政創史郎くんとバンドをやっていて。そのバンドに私が入ってたこともあったんだけど。

ーーgrim grimというバンドですよね。

福士:そう。

浅井:それで福士さんがソロでライブをやった時に、仲田先輩と俺が会ったんだよね。最初に会ったのは『セキララ』を出したばかりのSHERBETのライブに来てくれた時だけど、その福士さんのソロライブの楽屋に仲田先輩も来とって、「あ、こんにちは」みたいな感じになり。そのあと俺が「バンドやろうよ」って声をかけたのかな、たしか。

浅井健一

ーーバンド結成を持ちかけたということは、仲田さんに何か感じるものがあったということですか?

浅井:そうだね。雰囲気がいいなと思って。“ミュージシャン!”って感じじゃん? そしたらやっぱり、すごくいいベース弾いたからね。俺の目に狂いはなかった。

ーー外村さんは?

浅井:仲田先輩が「外村くん、いいドラマーだよ」と言うもんだから、夜に酔っぱらって外村くんの家に行ったんだよね。そうやって3人でリハみたいなのをやっていた後に、福士さんにも参加してもらおうという話でSHERBETSになったんだと思う。

ーーSHERBETSに関しては、福士さんが最後の加入なんですね。結成した頃、SHERBETSの音楽についてはどんなイメージがあったんですか?

浅井:特にない。行き当たりばったり。

福士:「こんなバンドにしよう」みたいなイメージの話はなかったと思う。自然に一個ずつ一個ずつできていった、みたいな。

浅井:何も決まってなかったね。あの頃、「HIGH SCHOOL」とか「シベリア」とか「はくせいのミンク」とかができたのはさ、自分にとってはすごく嬉しかったんだよね。やっぱりキーボードがあるのは大きいし。

ーーBLANKEYでは表現できないサウンドですよね。

浅井:そういうこと。SHERBETSのバンドサウンドって、ちょっとダークな冷たい感じじゃん。そういう世界観は昔から好きだったからね。

福士:すごい曲がどんどんできるし、ベンジーの詞もよくて音楽の夢が広がるなって感じで。才能がある人とやると楽しいし、すごいところまで行けるから、そういう意味では一緒に新しいものに挑戦できるのも楽しいなと思ってたかな。

「ベンジーが気づいてくれるから、アイデアを散りばめるようにしてる」(福士)

ーーBLANKEYが解散した2000年以降はSHERBETSの活動が活発になって、新しいタイプの曲がどんどん出てきましたよね。「38 Special」とか。

浅井:うん。4人で集まると勝手にいろんなアイデアが浮かんで来たんだよね。4人が何も考えずに音を出して、すごく気持ちのいい状態になってる時があって、そういうふうになるバンドって本物というか、稀だと思う。いろんな人とやってきたし、全部すごく好きだけど、この4人は何も気を遣わなくていいんだわ。本当に自由にやってる状態。音出し始めたら、もう延々と何十分もやっちゃっててさ。普通だったら何回も同じベースラインを弾かせてたら「そろそろ辛いかな?」とか考えちゃうけど、仲田先輩だとなぜかそんなこと考えてないのが不思議だわ(笑)。

福士:私たち、放っといたらずっとやってるよね。

浅井:その破片が曲になったりしたね。

ーー例えば?

福士:今回の「Smoothie Glider」とかそうだったよね。

浅井:そう。福士さんが自由に弾いてる時に、あのキーボードのフレーズを最初に弾いてたんだわ。「あ、これ絶対にいい!」と言って、そこから始まったよね。

福士:ベンジーはいいポイントに気づいてくれるからね。そういういろんなアイデアを散りばめるようにしてる。

福士久美子

ーーただ、『VIETNAM 1964』(2001年)を出したあとに活動休止した時は、このバンドはもう終わってしまったのかと思いました。

浅井:そうだよね。

ーーそこから2005年に『Natural』が出たわけですが、このアルバムが作られていたことは休止中に漏れ伝わってきていたので、「どうなってるの?」と思ってたんです。

浅井:まあ、いろいろあって「じゃあ冬眠しようか」という話になって。それでみんなバラバラになって、それぞれ自分のことをやってて、俺はJUDEをやり始めたんだけど。それからちょっとしたら「やっぱりアルバム作ろうよ」って話になったんだと思う。

ーーつまりバンドが終わったわけではなかったんですね。

浅井:うん。終わってなかった。

福士:無理してやっても仕方ないと思うから、休止も自然な流れで。やろうと思えれば、またやればいいし。私は「1回決めたからこうじゃなきゃいけない」っていう考えじゃない部分もあるから、その瞬間瞬間でっていうのはあったかな。

ーーなるほど。

福士:それからまたみんなで集まって……『Natural』の曲作りのリハは、最初はベンジーの家のスタジオでやってたよね。爆音を出せない空間だったから小さい音で作っていったよね?

浅井:そうだね。「Hippy Junky Surfer」をちっちゃい音で録ってた記憶があるから。それが逆にいい感じだったんだよね。

福士:うん。小さい音で生でやるとまた違うんだなという新しい発見だった。だから繊細さが加わって、ああいう世界観が生まれたのかなと。

浅井:『Natural』は俺が熱を出しながら歌ってるんだよね。

福士:点滴打ちに行ってたよね。高熱が出ていたから、頑張りすぎなかったのも『Natural』の世界観に繋がったのかなと。

浅井:ああ、大きい声が出せなかったから(笑)。「Baby Revolution」は特にそんな感じだったもんね。この時すごかったんだよ、俺が熱でぶっ倒れてるのにみんなどんちゃん騒ぎしとって、俺がキレて怒鳴り込んでったっていう(笑)。屋根は雨漏りして、コンピューターに水はかかるし。

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