“特別”から“いつも”のフジロックへ 2020年中止の決断、今年のラインナップの狙いまで運営スタッフに聞く

 7月29日、30日、31日の3日間、新潟県 苗場スキー場にて『FUJI ROCK FESTIVAL’22』が開催される。日本を代表する野外ロックフェスとして、世界のトップアーティストから新進気鋭のバンド、そして未来あるニューカマーたちまでが集結する、まさに年に一度、ここでしか体験できないお祭りが繰り広げられるのだ。

 2020年は新型コロナウイルスの影響により開催が中止に。翌年は引き続きコロナの影響が続いていること、それにより厳しい入国規制が設けられていたことなどを理由に国内のアーティストのみで開催された。自粛規制も含め徹底した感染予防に務める必要もあり、例年とは違う、“特別なフジロック”と銘打った形で行われたのだった。

 そして2022年、未だコロナの影響はあるものの、“いつものフジロック”が開催される。Vampire Weekendら海外アーティストもラインナップに加え、本来のフジロックに限りなく近い形での光景が、今年苗場で見られるに違いない。

 リアルサウンドでは、今年の夏フェスの動向に注目した特集『コロナ禍を経たフェスの今』を企画。その第1弾として、この3年間のフジロックを知るため、フェスを運営するSMASHの藤川隆太朗氏に話を聞いた。2020年の開催中止に至る経緯、そして“いつものフジロック”に込められた思いに迫る。(編集部)

2020年の開催中止、そして2021年に下した決断

ーーまず2020年の中止の経緯とその前後の動きや反応などから教えていただけますか。

藤川隆太朗(以下、藤川):2020年の1月ぐらいから日本でも初めてコロナ感染者が出て、2月中旬にはライブハウスの中にもマスクしてる人がチラホラ見られて。2月29日、私は大阪で現場がありまして、希望者は(ライブチケットの)払い戻しをします、という状況でした。それで3月になったら中止や延期が相次ぎました。その時は2009年の新型インフルエンザの時のようにすぐに沈静化していくかなと思っていて。なので4月の時点ではまだフジロックも開催できると思っていたので、出演者発表も第2弾まで出していました。でも状況が悪くなっていく中で、本当に直前までは開催する前提で海外含めたアーティストのブッキングもしていましたが、最終的には延期ということになりました。当時の感染状況などを考えれば、あの時はもう延期の一択でしたね。

ーー当時は新型コロナウイルスに対してまだ知見が積み上げられていなかったですし。

藤川:日高(正博/SMASH代表)から言われたのは「全員の健康を第一に」で、医療が逼迫する中、亡くなられた方々、重症化して闘病されている方々、最前線で対策に携わっていられる医療従事者の方々がいる中で強行開催は全く頭にないし、社員一同そういう考え方でしたね。

ーーそんな2020年でしたが、夏には過去のフジロックでのライブ映像をYouTube配信、また年末には無観客になってしまいましたが『KEEP ON FUJI ROCKIN' II 〜On The Road To Naeba〜』を開催しました。特に『KEEP ON FUJI ROCKIN' II』は大晦日だからこそみたいな感じだったんですか?

藤川:私たちは夏のフジロックが一年のメインイベントなので、お盆や年末年始は休む、という会社なんですよね(笑)。それはフジロック以外でも普段は平日や週末関係なくイベントやライブがあったりするので、長期の休みぐらいは家族との時間を大事にするみたいなところがあったんです。だけど、2020年は仕事が全くできてなかったのもあって、社員一同消化不良のまま年末年始を迎える中で、年内中に何かイベントをしたいな、という気持ちでしたね。私も当日は現地にいたのですが、このイベントに携わってくれている協力会社って「やっぱりかっこいい人たちばかりだな」と思ったのが、当日直前に無観客開催にしたことによって会場にお客さんがいないので、外に向けて音を出すスピーカーはいらないわけです。でもちゃんと外音を出しながらアーティストもそれに呼応してくださって、パフォーマンスをしてくれていたというのがよかったです、僕は。グッときましたし、久しぶりに大音量を聴けて無事に年を越せる気持ちでした。

ーー例年、フジロックで音響を担当していらっしゃる方たちも現場にいらしたんですか?

藤川:そうですね。『KEEP ON FUJI ROCKIN' II』はいつもGREEN STAGEを担当している音響会社のクレア・ジャパンでした。

ーーそして2021年の年始。例年だとそろそろフジロックの開催発表かなと思うわけですが、まだコロナ禍は続いていて。実際いつ頃発表されるんだろうと思って待っていたわけですが、2021年の動きはどうでしたか?

藤川:世の中の状況を常に注視して諸々の準備、公開作業は進めてましたね。発表できる直前の状態まで準備しておいて。でもそれこそ緊急事態宣言が延長されます、それもここで終わります、という世の中の動向を逐一チェックしながら、「(緊急事態宣言も)解除されそうだから、じゃあこのタイミングで発表しようか」みたいな形でしたね。

ーー去年は来日アーティストの隔離期間が2週間もあり、来日自体が難しい状況でした。どのタイミングで国内アーティストのみでのラインナップにしようと判断したんですか?

藤川:早いタイミングだったと思いますね。2月ぐらいにはもう切り替えて、3月ぐらいには国内アーティストだけでやっていこうと。

ーー開催直前はどのように動いていましたか?

藤川:例えばPCR検査や抗原検査はアーティストに対してもスタッフに対しても徹底していました。その前に開催された東京オリンピックを見守り、フジロックもそれに続きたいという気持ちがありましたね。ただ実際に開催に向かう中で、普段しないこと、普段の10倍ぐらいやらないといけないことが増えて。

ーーそんな中で他の夏フェスの状況はどうご覧になってましたか?

藤川:それこそコロナ禍になってから、全国のフェスティバル主催者が一堂に会することが増えたのもあって、情報は常に共有し合っていました。やはり開催する場所、都道府県や市区町村との交渉は必要で、それは開催するフェスによってばらつきはありました。フジロックに関して言えば、新潟県や湯沢町は開催に向けて基本的に協力的というか。しかし都市圏と地方ではコロナに対する温度感も違っていたりして、もちろん地元からの反対も少なからずありました。それはその場所をお借りして開催させていただいているので、地元の協力あってのフジロック、という気持ちを常に持ちながら真摯に受け止めました。

ーー先ほどおっしゃっていた「普段の10倍ぐらいやることが増えた」というのは、具体的にはどんなことなんでしょうか?

藤川:例えばライブハウスなどで入場する際はチケットをちぎって、ドリンク代を払うじゃないですか。そこに消毒と検温、何か有事の際に連絡できるよう個人情報を取らないといけなかったり。さらにはマスク着用やコロナ対策のアナウンス、注意喚起も兼ねた張り紙の準備もそうですし、会場ではソーシャルディスタンスを保つため立ち位置を作ったり。フジロックでもステージごとに立ち位置をどういうふうに設けるかというのは議論に上がりまして。でも、立ち位置を示す方法など、アイディアを考えること自体は楽しかったです。例えばピラミッドガーデンは立ち位置を示す方法としてフラフープを採用しました。

ーー当日も抗原検査を受けられる態勢でした。その検査キットの予算だけでも大変ですよね。

藤川:予算もそうですし、実際に検査キットを集める、しかも相当数を集めなきゃならないというのもありましたね。スタッフ、出演者は全員が来る前にPCR検査を受けてもらい、もし陽性が出てしまった場合、スタッフは他の方に交代してもらって……みたいなこともやりました。設営準備するスタッフが泊まってる宿舎も、一人ひと部屋、もしくは二人ひと部屋ぐらいまでの制限で宿泊していました。

ーー会場の雰囲気も普段とは違いましたよね。

藤川:前夜祭も、お酒の販売もなかったですし、オアシスエリアの出店テントも間引きしてたり、PALACE OF WONDERがなかったり、とにかくフジロックを構成する様々な要素がなかったですしね。普段であればアーティストもライブが終わったら、「お客さん」になって遊んでもらったりするのですが、昨年はライブが終わったら基本的には日帰りを推奨していたので、そういったアーティストとお客さんとの出会いもあまりなかったですね。

ーー去年の会場の光景はどう映りましたか?

藤川:都市部では直前でまた緊急事態宣言が出たのもあって、開催期間中も払い戻しを希望者から受け付けてたんですよ。もちろんそれぞれの事情で払い戻しされる方もいたんですけど、実際会場にいらっしゃる方々を見たら、もう感動でしたね。きっとそれぞれ覚悟されて、それこそご家族や職場の方たちからの逆風もあったと思うんですよね。苗場まで足を運んでいただいた人たちの一人ひとりに、そういった思いがあるんだなって勝手に想像していました。来ていただいている人たち一人ひとりに感謝の言葉を伝えたいです。それと同時に残念ながら行かない選択をされた方々のことも思いやりました。それはお客さんだけでなくアーティストやスタッフへも同じ思いでした。

 実際SNSなどでは「フジロックのために今年は行かない」、そんなことを投稿されている方もたくさんいて。もちろん来てくれた方もそうですけど、一人ひとりがちゃんとフジロックと向き合って決断してくれた。それは出演者の方も同じですよね。中には出演しないという判断をされたアーティストもいましたが、そうした判断も含めて本当に感謝しています。

ーー去年のフジロックから得られた一番大きなことってなんでしょうか?

藤川:本来フジロックは自由であるべき場所なのに、一番不自由なことになっていたなと思いました。皆さんには時間も労力もお金も費やしていただいているのに、不自由な体験をさせてしまったなと。なので、そうした不自由を経験したからこそ、フジロックの本来あるべき姿を見つめ直すことができました。

 それと、去年はとにかくゴミが少なかったです。私がステージ制作している苗場食堂はだいたい深夜2時ぐらいにクローズするんですけど、通常ならゴミが散乱していたり、酔っ払った人が寝ていたりするんです。去年はアルコールの提供がなかった影響からか、そうした光景が全くなくてすごくきれいでした。

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