Sexy Zone、Lucky Kilimanjaro、imase……ポップミュージックに広まる「休むこと」を肯定するメッセージ
応援ソング、と言えばどんなフレーズを思い出すだろう。
おそらくほとんどの人は「頑張れ」とか「負けるな」といったフレーズを想起するのではないだろうか。応援歌としてのイメージも強いヒット曲にも、そのようなメッセージがよく含まれている。例えばMr.Childrenの「終わりなき旅」(1998年)では〈高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな〉という歌詞が印象的だし、DREAMS COME TRUEの「何度でも」(2005年)はタイトルどおり〈何度でも〉立ち上がるためにリスナーを鼓舞するようなメッセージを何度も繰り返し述べている。困難があるとして、そこに立ち向かうエールを送ることが「応援」という発想の歌が多いように感じる。扱われるテーマが仕事、勉強、スポーツ、恋愛問わず、そのケースが多い。
逆にいうと、その価値に反するメッセージが入った歌は、それだけで特異なポジションを持つこともある。奥田民生の「コーヒー」(1995年)はそんな代表ではないだろうか。〈休みが必要だ テレビがそう言ってる コーヒーで一息いれろといってる なるほど〉。……なるほど。当時のポップシーンにおいて、ここまで明確に〈休み〉を肯定した歌も珍しい。『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール(マンガ版は奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール)』というタイトルのマンガ&同名映画ものちに公開されたが、それだけ奥田民生のスタンスが特異的だった証ともいえる。『おジャ魔女どれみ』の初代オープニング曲である「おジャ魔女カーニバル!!」でも〈きっと毎日が日曜日 学校の中に遊園地 やな宿題はぜーんぶ ゴミ箱にすてちゃえ〉というフレーズがある。これも「休もう」の派生だと考えられるが、非現実的な日常が舞台のアニメ主題歌のフレーズであることを考慮すると、「頑張る」のメッセージが普遍的であることが前提のフレーズとも受け止められる。
時は経って、世の中の空気は大きく変わった。
90年〜00年代であれば、ポップミュージックにおいては少数派だったはずの「休もう」のメッセージは、少なくとも、日常レベルにおいて少しずつ普遍化することになる。もちろん、それぞれの環境によって状況は異なるとは思うが、世の空気だけで言えば、それまで「頑張れ」と声をかけていたケースも「休もう」に置き換えられることが増えてきた。それに比例して、「休もう」というフレーズが日常を生きる人々に対する応援歌のメッセージとして機能している印象を受けるのだ。実際、「休もう」のメッセージを内包したポップソングが散見されている。
Sexy Zoneのアルバム『ザ・ハイライト』に収録された、岡崎体育作詞作曲の「休みの日くらい休ませて」は、まさに「休むこと」を肯定した楽曲である。ファンキーなサウンドにのせて、メンバーが無邪気で楽しそうに歌唱するのが印象的で、サビの〈休みの日くらい休ませて〉というメッセージが高らかに響く。すでに自分たちは頑張りすぎるほどに頑張っているんだから、休みの日くらいはしっかり休もうというマインドが提示される。