Mr.Childrenのベスト盤が圧倒的大差でチャートトップに 続けて聴くことで浮かび上がる時代に沿った変化
90年代中旬、CD時代の申し子のように台頭していったミスチルは、いわば、日本が高度経済成長を経て文化的にも豊かになった時期のバンドでした。バブルがはじけたあとも90年代の音楽業界はずっと好景気で、CDが売れたぶん多様な価値観の音楽が次々とメジャー進出し、そのぶん音楽的なクオリティの底上げがありました。そういう豊かさの中で、どれだけでも自分探しができ、“果てしない夢”が描けたのでした。
しかしCDのセールスが下がり、景気も悪化し続け、余裕のない社会となりました。どの世代にも出口なきムードが漂っていて、昨今は日本全体がリアルに貧しくなってもいる中で、キラキラした夢や希望ばかり歌い続けるほうが嘘っぽいと、桜井和寿は敏感に感じているのかもしれません。〈ひとつにならなくていいよ〉と繰り返す「掌」が2003年リリースと、今語られる多様性について、彼がどれだけ早くから警鐘を鳴らしていたかがわかります。
2011年以降の桜井の歌詞は、前述のようにシビアに刺さります。ことに目立つのは安易な楽観に対する慎重さで、2015年発表の「fantasy」に綴られたのはこんな歌詞です。
〈「出来ないことはない」「どこへだって行ける」/「つまずいても また立ち上がれる」/いわゆるそんな希望を 勘違いを 嘘を/IDカードに記して行こう〉
かつて自分たちが歌ってきた〈希望〉を、〈勘違い〉であり〈嘘〉と言い切っています。これは恐ろしく勇気がいることで、根底にあるのは贖罪の意識なのかもしれません。経済的にも文化的にも豊かだった時代を残せなかったという思いが書かせた自責の歌とも読めます。
ここまで真摯に現実と向き合い、かつての幻想を捨てても、今のミスチルの歌がリアルな希望を放っているのは事実。これくらいの自己変革がなければ、時代のメッセンジャーは生き残れないのかもしれません。今回のベスト盤に入った書き下ろしの新曲が「生きろ」と命令形のタイトルであるところも、変化の象徴です。
※1:https://www.barks.jp/news/?id=1000088351