乃木坂46という“場”が生まれ成熟するまで ドキュメンタリー『10年の歩み』が捉えたものを考える
ただし一方で、この作品が単に順調な軌跡を集積しただけのものでないことも、見過ごさないようにしたい。こうしたドキュメンタリー制作が可能になるのは、表舞台に立っていない時間までも含め、メンバーたちをメイキングカメラが常時取り巻く環境が存在するゆえである。このようなメディア環境もまた、2010年代グループアイドルシーンの特徴だが、どこでどのように使われるかも未定のオフショット映像が記録・蓄積されていくなかで、メンバーたちは絶えずカメラ越しの「目」を意識することになる。
ドキュメンタリー前半、とあるメンバーがカメラの前で逡巡しながら口にする言葉は、自身の発言や振る舞いがメディアを通して成型されて発信され、無数の人々にさまざまに解釈されてゆくことについての、途方もない不安を浮かび上がらせる。そのさまは、コンテンツの受け手はもちろんのこと、グループを運営する人々やマスメディアまで含めた消費のありようを、静かに問い返すような佇まいを持つ。
あるいは、選別や競争といったアングルがまだ強く充てられていた時期、その中枢に立つことになったあるメンバーのインタビューは、そうした枠組みが設定されることに対する、演者側からのひとつのアンサーであるかのように響く。あくまで端正に歩みを追ってゆく構成のドキュメンタリーでありつつも、すべての人が足場を省みるための瞬間が時折差し込まれることもまた、本作の重要な一側面である。
もちろん、初のベストアルバムに収録されるこの『10年の歩み』は、乃木坂46という〈場〉を慈しみ、10周年を寿ぐための祝祭感や微笑ましさをたたえている。しかし同時に、乃木坂46というエンターテインメントの享受について、いくつもの水準で考える契機を見つけられる作品でもあるはずだ。