草なぎ剛、徳川慶喜として駆け抜けた日々の舞台裏 クライマックスを前に振り返る

草彅剛
草彅剛

 草なぎ剛が、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜を好演する大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合)もいよいよ大詰め。幕末から明治へ、新しい日本をどのように作っていくのか。そのテーマは、まさに時代の転換期ともいえる2021年にも通じるものがある。

 吉沢亮が演じる主人公・渋沢栄一は、動乱の中でパワフルに時代を推し進める姿が印象的だ。対して、草なぎ扮する慶喜は耐え忍び、身を引いていく。“動”と“静”、そう例えたくなるほど対照的な2人がいるからこそ、この作品は陰影がくっきりと浮かび上がってくるように感じる。

 いつの世も、一つの意見がまっすぐに通ることはない。特に正解が見えない混乱した社会では、異なる多くの声がぶつかるのは当然のこと。皆が笑うことができれば理想だが、涙を流さざるを得ない展開を避けられない場合もある。それでも、どうにか道筋を作っていかなければいけないときがあるのだ。

 「息災を祈る」ーータイプは異なれど同じ熱い願いを持つ栄一に、そして心を許した側近・平岡円四郎に、慶喜がここぞというシーンでかけた言葉。その声は同時に、今の時代を生きる私たちにも投げかけられているように思えてくる。自分の体と心、そして大事な人が“息災”であること。その上で、明日が切り拓けるのだと。まるで草なぎ剛という体を通じて、慶喜自身が語りかけているかのようだ。

 そう受け止めたくなるほど、草なぎの演技は観る者に対して何かを委ねているような部分を感じる。演じるというのは、そのキャラクターが何を考え、どのような感情を持つのかが観る者に伝わることが重要。だが、単純に喜怒哀楽をこちらに突きつける演技ではなく、その奥底にある本当の想いを、観ている側が探りたくなる“引き“の演技をしている。

 本作では、何度も慶喜の目を中心に表情のみがクローズアップされるシーンがあった。たっぷりと時間を取り、その沈黙が多くを語るよりもずっと効果的なシーンとして映る。例えば、父の死を知らされる悲しみの場面においても、その事実を受け止める難しさ、自分自身を取り巻く状況への悔しさ……と、いくつもの想いが入れ替わり立ち替わり襲ってくる心情を、草なぎの演技から感じることができた。

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