野田あすか、西尾芳彦のインタビューで解き明かす『ココロノウタ~Happy Together~』 新しいポップス誕生のストーリー

野田あすかインタビュー

 発達障害と向き合うピアニスト・野田あすかが、YUIや絢香、家入レオ、Vaundyの生みの親として知られる西尾芳彦のプロデュースのもと、野田あすか with FRIENDS名義でポップスにチャレンジ。ミニアルバム『ココロノウタ〜Happy Together〜』を完成させた。コロナ禍での出会いゆえリモート作業が多く、だからこそ、「人と会うのが苦手」が「会いたい」に変化した。それが「ポップスを作るということに結びついた」と野田は語る。筆者は昨年、「生きる。」というピアノ曲で野田に魅せられたこともあり、「ラブレター」のエピソードには取材中密かに感動。心のままに綴られた野田の歌詞を歌う7人(西尾氏が塾長を務める“音楽塾ヴォイス”のアーティスト)の表現も瑞々しい。野田あすかmeetsポップス。そのドキドキワクワクの体験を聞いた。(藤井美保)

「会いたい」という気持ちが、ポップスを作るということに結びついた

ーーまず、「西尾さんに会ってみませんか?」と勧められたとき、どう思いましたか?

野田あすか(以下、野田):100%不安でした。スタッフもあまり詳しく教えてくれてなくて、突然バン! と出会った感じだったので、すごく緊張しました。

ーー実際お会いした西尾さんの印象はどうでしたか?

野田:西尾さんが着てた上着の肌触りがよくてずっと触っていました。「これ、気持ちいいですね」、「いやー、これ、高かったんですよ」と、だいぶ長い間生地の話をしてたと思います。

ーーそんな出会いからセッションを重ねることに?

野田:何度もはお会いできなかったんですけど、私が東京に来られる日にまとめて3時間とか一緒に音を鳴らしました。とにかく最初は、西尾さんのやることを真似して返すという感じで。

ーーたとえば、どんな音ですか?

野田:西尾さんが「僕は小さい頃、口でドラムをするのが好きだったんです。ということで、それをやってみよう!」と突然言って、「なんだそれは?」と思いながら私が真似する、みたいな(笑)。

ーー「♪ドンドンチャンツカ」みたいな感じですか?

野田:いや、もっと本格的なヒューマンビートボックス的なやつです。もちろん、全然その通りにはできないので「難しいね〜」と言いながら。

ーーリズムの新しい世界が見えたりしましたか?

野田:はい。「ああ、そういうことか!」という発見がありました。私、ポップスを聴いたこともなければカラオケにも行かないので、急に「なんか新しいものが来た!」という感じでした。

ーーコードに関してはいかがですか?

野田:基本的なことは知っていたので、コード進行のコツみたいなことを教えてくれました。最後はいつも西尾さんがギターかピアノでコードを弾いて、「はい、これで一節」と。それに合わせて、私はテキトーに歌ったり、ピアノで弾いたり。よくわからないときもあれば、よくわかるときもありました(笑)。

ーーそして、最初に生まれたのが、「ココロノイロ」(「国文祭・芸文祭みやざき2020」のPRソング)だそうですね?

野田:もともと私が単独で、地元・宮崎県から「共生」というテーマでPR曲を依頼されていて、実は最初ピアノ曲を作るつもりでした。でも、よく考えたら、ピアノ曲では「共生」じゃなくて「ひとり」だなと。そんなときふとテレビで、あるバンドが演奏する姿が目に入ったんです。よくわからないけど、目で見てもわかる「共生」ってこれだよね、と思いました。でも、私はポップスを知らないし、作ったこともない。それで、出会ったばかりの西尾さんに相談したんです。そうしたら、「手伝うから一緒に作ろう」と言ってくれて、ああじゃないこうじゃないとやりとりしながら、なんとか前向きなメロディと歌詞をひねり出しました。

ーー〈本当のこと言うとね とても怖いんだ〉で始まる大サビのラップが、多くの人に刺さったと思います。

野田:ある日西尾さんが、「いつもニコニコしてるけど、本当はあいつムカつくとか思ってるでしょ?」と聞いてきて。私は「思ってるよ」と答えました。そうしたら、「それをぶつけてほしい。きれいだけで終わってもいいけど、本心が見えるほうが現実味があるから」と。だから、あれはもう本当に私の言葉。今回の6曲のなかで一番今の私を表していると思います。

ーー配信限定の「ココロノイロ」のラップはボーカルの上野静香さんですが、CDバージョンは野田さんご自身の声ですね。

野田:はい。「もうちょっと暗く」、「もうちょっと明るく」と、いろんなパターンを試しました。自分の声の本格的な録音は初めてで、面白かったけど照れました(笑)。

ーー「Happy Together〜いつか見たあの場所〜」は、当初西尾さんが、東京都のアーティスト支援事業「アートにエールを!」に器楽合奏バージョンをアップ。それをリモートで見た野田さんが、「みんなと会いたくなった!」と涙目で言う姿が、とても印象的でした。

野田あすか – ドキュメンタリー “仲間と創る音楽=可能性への挑戦” #1

野田:あのときは、コロナで人に会えないし、曲作りもリモートだしっていうのが極まっていました。普段私、仲のいい子にさえ「会おう」って言われても、「いや、いい。べつに今、用事ないもん」と言っちゃうんですけど(苦笑)、「アートにエールを!」でみんなが演奏してる姿を見たときは、なぜか「会いたい」と思ったんです。会えない状況が、「寂しい」とか「会いたい」という気持ちを私に与えてくれて、それが、ポップスを作るということにも結びついたのかなと。

ーー全曲作詞に参加されていますが、どう取り組みましたか?

野田:ポップスでは、「私はこう思うよ」と書くと、みんながそれを共感していることが多いですよね。でも、私はみんなと同じ考えじゃないことも多いから、普段思っていることのどれが共通するのかわからない。だから、とにかく思っていることをどんどん言葉にして、「みんなが共感できるものがあったら選んでください」と西尾さんに送ったんです。最終的に100個くらいかな。

ーー野田さんにはこれまでも、「手紙〜小さいころの私へ〜」や「生きるためのメロディ」など弾き語りのオリジナル曲があります。それらと今回とでは、詞へのアプローチが違いましたか?

野田:今回は、with FRIENDSというコンセプトなので、自分の気持ちだけを綴るのは違うなと思いました。「みんなが共感できるもの」を西尾さんに選んでもらったのは、歌い手の方たちが自分の思いとして歌えるように、という意味でもあったんです。

ーーなるほど。「ラブレター」という温かい曲も生まれました。

野田:昨年春、「生きる。」をリリースしたんですけど、それは私自身が北海道の野生動物の姿に触れてできた曲なんです。案内をしてくれたのは、現地で野生動物を撮り続けている写真家の井上浩輝さん。その北海道での体験がすごく思い出深いものになったので、私、帰るとき空港で泣きそうになったんですよ。そうしたら井上さんが、「大丈夫だよ。生きてたら、また会えるから」と言ってくれて、号泣。井上さんは笑顔にさせるつもりだったと思うんですけど、その「生きてたら、また会える」は、長年、野生動物を見てきたから生まれた言葉とわかったので、なんか心が震えてしまって。それが私のなかでずっと生きているので、「ラブレター」の歌詞に書き加えました。いつかリサイタルの最後に、お客さんへの「ありがとう」を伝える曲として歌えたらなと思います。

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