5thアルバム『御ノ字』インタビュー
島爺×堀江晶太 対談 “職人気質”な両者が共鳴した、作品主義を貫く活動10年の研鑽
島爺との出会いの初期衝動を表現した「花咲か」
ーーさて、今回の「花咲か」がどんな経緯で制作されたのかも聞かせてください。
島爺:これまでのアルバムでは、既存のボカロ曲がメインになっていて、書き下ろしをしていただくことは少なかったんです。というのは、誤解を恐れずいうと、楽曲の書き下ろしをお願いして、それが自分に合わなかったときのことを考えると怖かったということもあって。ただ今回は10周年の記念盤ということもありますし、僕自身、これまでの経験も含めて、どんな楽曲をいただいてもしっかり表現できるはずやと考えて、信頼するクリエイターの皆さんに書き下ろしのお願いをしてみようと。断られる前提で、堀江さんにも一度お願いできたら……というのが正直なところでした。そうしたら、ご承諾いただけて。
堀江:僕としてはオファーをいただけると思っていなかったので、シンプルに驚きました。これは“仙人ごっこ”のひとつなんですが、僕はフリーランスな上に、連絡先を公開していないんです。つまり、僕にオファーをしていただくということは、わざわざ連絡先を探してくれているということで、その時点で情熱が伝わってくるんですよね。それがただでさえ嬉しいし、その上に島爺さんということで、昔の動画であらためてその歌声を聴いて、「やろう!」という感じでした。
ーー作曲に堀江さんが、作詞に島爺さんがクレジットされていますが、制作は曲が先行だったそうですね。
堀江:そうですね。オファーをいただいた段階の希望が「好きにやってほしい」で、どうしようかと考えたのですが、僕は島爺さんと直接面識がなかったし、これまで多くのコラボをしている皆さんとは違うアプローチをしようと思って。そこで、最初に島爺さんという存在を知ったときの感覚をそのまま曲にしてしまおうと。今でこそ、島爺さんの多彩な音楽性も知っていますが、当時は本当にお爺さんだと思って動画をクリックしたので、わざと演歌っぽいことをやってみたり。これは今の島爺さんを知っていればあえてやらないことだと思うんですが、無知なまま真っ直ぐに、初期衝動的に表現するのも一興かなと。
ーーおっしゃるように、島爺さんのイメージがデフォルメされているというか、10周年を記念する作品にあらためて収録する“テーマ曲”のようで痛快でした。島爺さんは、この曲を受け取ってどう思いましたか。
島爺:びっくりしたのは、「演歌のメロディなんて作ってくれるんや!」と。堀江さんは職人であり、美学の人で、そういう“遊び”を入れてくださる方とは思っていなかったので、「ここまでやらせてええんか……」と恐縮しました(笑)。明らかに意図があるということがわかるし、うれしかったですね。
堀江:ありがとうございます。僕自身も、理由なしに普段と違うことはしたくないと思っていて、明確なモチーフがあって遊ぶことが好きなので、汲み取っていただけてよかったです。
島爺:“職人の遊び”というのはすごくて、聴いていただければわかるんですが、サビはきっちりロックなのに、演歌調のフレーズが入っていてもまったく違和感がないんですよ。完全に調和していて。
堀江:僕は「予定調和」という言葉に悪いイメージを持っていなくて。みんなが期待する予定調和に向かう道からは大きく外れず、そのなかでどれだけ楽しいことができるか、ということが大事だと思っているので、そう言っていただけてうれしいですね。
花咲か爺さんに重ねた歌い手としてのキャリア
ーーその楽曲に歌詞を書く、という作業はどうでしたか。
島爺:まず、そのとき仕事が詰まっていて、取りかかってからも難儀してしまって、時間がかかってしまって申し訳なかったです。
堀江:いや、僕も時間かかりましたし、何より「花咲か」というタイトルを見た瞬間に、「わかってくれていた……!」とうれしかったんですよ。今回お話ししたようなことは何も言わずに、ポンと楽曲をお渡ししただけだったので。何も知らずに「歌い手・島爺」の楽曲リストを開いたときに、あってほしいタイトルが来たわけですから(笑)。まさに、いい意味での予定調和というか。
ーー聴く人の気持ちを鼓舞するパワーがあり、しかしある種の開き直りも含めて、”ダメさ”も引き受けながら前進する粋な感覚もある歌詞だと思います。コロナ禍もあり、ただ無邪気に楽しむというわけにはいかないこの夏を象徴する一曲になりそうな予感もありました。
堀江:確かに、光を描こうとすれば必ず影が必要ですし、アンハッピーな部分にも触れた上でハッピーなことが描かれないと、自分はグッとこないんです。「花咲か」の歌詞にはまさに、現実を認めた上での力強い言葉がちりばめられているので、僕が思っていた通りの島爺さんでしたし、うれしかったですね。
島爺:デモをいただいたときに、「これはラストを飾る曲やろうな」と思ったんです。アルバムの余韻をいいものにしたかったので、ポジティブな歌詞にしたい、という思いはあって、でも書いていたらだんだん違うものになってきて。
楽曲に花びらが舞っているイメージがあったので、演歌調のメロディも入っていたし、“島爺”やし、花咲か爺さんというモチーフはすぐに出てきたんですよ。そのなかで引っかかったのは、花咲か爺さんが灰を撒けば確かに花が咲くのだけれど、あれは花咲か爺さんの特殊な力ではなくて、大事な臼を燃やされて、できた灰の力なんです。僕も歌い手をやっていて、いろんな方の楽曲をただ歌わせていただいているだけで、メジャーで活動までさせていただいて。そういう「自分の力じゃないねんけどな」という気持ちを花咲か爺さんも持っていたんじゃないかな、と思ったんですよね。だから、ただ単にポジティブなものではいかんなと。言葉もどんどん変わっていきましたし、だから時間がかかってしまって。
堀江:素晴らしいですね。そういう歌詞だからこそ、最後に置いていただいていいなと思えました。もともと、「演歌」とともに「宴歌」というモチーフも考えていて、灰を撒いて花が咲く、という景気のいい映像が浮かぶところも含めて、なおかつ演歌的な侘しさや虚しさ、哀愁というものも言葉に入っていたので、本当に素晴らしいなと。楽曲は多くの人に聴いてもらって、そこで花開くものだとも思うのですが、こうやって島爺さんの話を聞いた時点で、いい音楽が作れたんだな、と確信することができました。