Adoを巡る3つの視点 「うっせぇわ」にとどまらない歌声の力
田家秀樹「文字面を超えた“歌”の力」
もし、彼女が歌っていなかったら「うっせぇわ」があんなにヒットしたとは思えない。
確かに世の中に蔓延している気分や多くの人が口に出せずにしまっていた不満や不信を痛快に代弁したという言葉とメロディの見事なまでの一致ということはある。でも、それが単なる「不満ぶちまけソング」に終わっていないのは彼女の歌と声あってだと断言していいと思う。
初めてあの歌を聞いた時、なぜか青森の「ねぶた祭」を思い浮かべた。〈うっせぇうっせぇうっせぇわ〉というあのフレーズが「ねぶた祭」の「らっせーらっせーらっせーらっせーら」という合いの手に似ているように聞こえたからではあるのだが、そういうこと以上に彼女の「声」に近しいものがある気がしたのだ。
“上澄み”に留まらない力、というのだろうか。民謡や夏祭りが持っている土俗的なエネルギー。日々の暮らしの中で経験する嫌なことや忘れたいことを吹き飛ばしてしまう根源的な情念のカタルシス。建前や常識を乗り越えてしまう本音の衝動。文字面を超えた「歌」の力だ。
日本のポップミュージックは「綺麗」を歌うことが主流になってきた。女性の「美しさ」や「愛らしさ」と言ってもいい。感動的なラブソングは「儚さ」と紙一重だ。そのためにも女性アイドルや若い女性歌手のキーは高く美声であるに越したことはないとされる。90年代のTKプロデュースの女性歌手の美意識は限界ギリギリのキーの高さを歌うことによって生まれていた。
Adoの歌は、そこに帰結しない。むしろ、そこを否定しているようだ。オブラートに包まれた予定調和な“性善説への懐疑”と言えばいいかもしれない。太くして低い彼女の地声とファルセットが入り乱れて絡み合うような思い切りのいい歌いっぷりには、そうした“善と悪”、“光と闇”、“正気と狂気”、“怒りや悲しみ”が織りなす喜怒哀楽絵図が浮かんでくる。
彼女の名前が能や狂言の“シテ(主人公)”と“アド(相手役・脇役)”からきているということを知って妙に納得してしまった。もちろん何の知識もないのだが“能面”に命を吹き込むのが“舞”と“謡”だというくらいは知っている。
一般的にはボカロ曲には歌い手の「顔」がない。それは「能面」のようなものかもしれない。そこにどんな命を吹き込むか。ボカロ曲出身の作家や歌い手はその術を知っているのかもしれない。そうした中でついに登場したのがAdoなのではないだろうか。
彼女が顔をさらして歌う時は来るのだろうか。それは素顔の彼女なのだろうか。「Ado」という「面」を被りそこに「命」を吹き込む歌い手としての姿なのだろうか。
■田家秀樹
1946年生れ、雑誌編集者、放送作家を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、音楽番組パーソナリテイ。FM NACK5、FM COCOLOでレギュラー番組放送中。「読むJ-POP・1945~2014」(朝日新聞出版)「70年代ノート」(毎日新聞出版)など著書多数。日本のロック・ポップスを創成期から見続けている。
■リリース情報
「ギラギラ」
配信:https://ado.lnk.to/giragiraPR
MV:https://youtu.be/sOiMD45QGLs
「うっせぇわ(Giga Remix)」
配信:https://ado.lnk.to/ussegrPR
MV:https://youtu.be/m_x_aUharLc
『レディメイド』
配信:https://umj.lnk.to/ado_rmPR
1.レディメイド
MV:https://youtu.be/jg09lNupc1s
2.うっせぇわ Piano Ver.
MV:https://youtu.be/G_jdDwi3Otw
「うっせぇわ」
配信:https://umj.lnk.to/ado_usseewaPR
MV:https://youtu.be/Qp3b-RXtz4w
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