Adoを巡る3つの視点 「うっせぇわ」にとどまらない歌声の力

 18歳のシンガーAdoのメジャーデビュー曲「うっせぇわ」が、公開から148日でYouTubeでの再生回数1億回を突破。さらに2021年3月29日付(集計期間:2021年3月15日~21日)のBillboard JAPANストリーミング・ソング・チャート“Streaming Songs”で、累計再生回数1億回を突破し、ダブルで1億回を5カ月で達成した。ソロアーティストとしては歴代最年少の記録で、米津玄師「感電」と並ぶ歴代6位のスピード突破だ。

 誰も想像できないほど急速に日本中、そして世界に広まっていった「うっせぇわ」。楽曲のインパクトはもちろんのこと、圧倒的な存在感を放つあのAdoの歌声がなければここまでのヒットには至らなかっただろう。

 「うっせぇわ」は多くのリスナーとAdoをつないだ。だからこそこの機会にAdoというシンガーの魅力、彼女の歌の力にしっかりと光を当てたい。今回リアルサウンドでは、音楽評論家・ジャーナリストである今井智子氏、柴那典氏、田家秀樹氏による「Ado評」をお届けする。これまで数多の才能溢れるシンガーの登場を目撃してきた3氏の目に映るAdoとは、はたしてどのような存在なのか。(編集部)

今井智子「余計な情報などなくても成り立つことを証明する歌声」

Ado

 デザイナー川久保玲は、コム デ ギャルソンの2021年秋冬コレクションをモノトーンで統一した理由を「現代の過剰な音や過剰な色、過剰な情報から一切離れて一息つきたかった」と語ったそうだ。このショーの静けさとは真逆な騒々しさがAdoの「うっせぇわ」にはあるが、楽曲と歌が一人歩きするこうした曲には、余計な情報が少ないという点で川久保の発言と通じるような気がする。

 そもそも匿名性の高い“ボカロ”や“歌い手”の世界では顔出しなしなど当然といってもいいことなのだが、これほどに楽曲と歌のみが支持され拡散していくのは、強力な個性や過剰な露出を前提とするリアルなアイドルやアーティストへのカウンターパンチのようだ。配信やサブスクリプションが次第に大きなマーケットとなってきていることに加え、新型コロナのためライブなどの活動が制限されていることやステイホームが日常になってきていることもWEB上での楽曲の人気に繋がっているのだろうし、ミニマリストのように「歌だけでいい」と情報を断捨離する人も少なくないのではなかろうか。

 一度聴けば覚えるほどの強い個性を持つAdoの声は、すでに余計な情報などなくても十分に成り立つ力を示している。つい先日まで高校生だったとは思えない歌唱力だが、〈うっせぇわ〉と叫ぶ声のパンキッシュなエネルギーは若いからこそのものだろう。肝の座った絶唱はマジで小気味いい。曲によっては抑制の効いた歌い方で色気さえ感じさせたり、内省的な雰囲気を漂わせたりもするのは、作者の意図や楽曲の色合いをとらえるための十分な理解力の持ち主と思っていいだろう。そうした変幻自在な表現には声優や俳優のような側面もあって、様々な可能性を感じさせる。

 20世紀半ば頃は海外アーティストの情報などラジオと僅かな雑誌ぐらいしか得る手段がなく、たまたま聴いて気に入った楽曲やアーティストに想像力を膨らませまくったものだ。情報に飢えていた時代と情報が氾濫しすぎの時代を重ねるのは乱暴というものだが、音楽そのものに向き合うことを今また見直す機会が来ているのは面白い。

 GReeeeNのように理由があって顔を見せないアーティストや、作品を理解してほしいというこだわりから顔を見せないamazarashi、文字通り他のペルソナをまとって活動するMAN WITH A MISSIONなどとは違う理由でAdoは匿名性を通しているのだろうが、顔を見せないことを貫いているオーストラリア出身のアーティストSIAや、体の線なんか見せたくないとオーバーサイズのウェアを愛用しているビリー・アイリッシュのように、情報をコントロールすることが存在感の一部となるアーティストになったら素敵だ。

■今井智子
音楽ライター。『朝日新聞』『ミュージックマガジン』『ロッキングオン』『ロッキングオンジャパン』『Fanplus Music』などで執筆中。