milet、ちゃんみな、AK-69らプロデュース Dr.Ryoに聞く、海外での挫折や成功で培った音楽制作メソッド

milet、ちゃんみな、AK-69らプロデュース Dr.Ryoに聞く、海外での挫折や成功で培った音楽制作メソッド

 ちゃんみなやmilet、AK-69などの楽曲提供〜プロデュースを手がけ、その美しいメロディとダイナミックなサウンドによって日本の音楽シーンをリードするプロデューサー/トラックメーカーDr.RyoことRyosuke Sakaiが、Dr.Ryo名義で自身のアーティストプロジェクトをスタート。英国はマンチェスター出身のアーティスト、バイポーラ・サンシャインとLAのラッパー、バディーをフィーチャーしたシングル「Late Night Flex (REMIX) feat. Bipolar Sunshine & Buddy」を、彼が主宰するレーベル<MNNF RCRDS(モノノフレコーズ)>よりリリースした。

 ビリー・アイリッシュやセレーナ・ゴメスらを擁する米国の名門メジャーレーベル<INTERSCOPE Records>とマネージメント契約を結び、今や国内外で引っ張りだこのRyosuke Sakai。しかし30代後半で初めて海外スタジオの門を叩いた頃は、「挫折」と「試行錯誤」の繰り返しだったという。一時期は「どん底」を経験した彼が、名だたる世界のプロデューサーたちと肩を並べる存在になるまで一体どれほどの苦労があったのだろうか。本インタビューではRyosuke Sakaiのこれまでのヒストリーはもちろん、プロデューサーとして大切にしていること、楽曲制作のエピソードなどじっくりと語ってもらった。(黒田隆憲)

歯科医師との兼業で始めた音楽活動

Dr.Ryo
Dr.Ryo

ーーもともとSakaiさんは、どのようなきっかけで音楽に目覚めたのでしょうか。

Sakai:小学校1年生くらいから6年間クラシックピアノをやっていまして、そこで基礎的な音感や読譜を身につけました。中学生になってからは野球部に入っていたので、一度音楽から離れるんですけど、中三からギターを弾き始めたんですね。その頃はハードロックが流行っていたので、Guns N’ RosesやSkid Row、Metallica、Megadethなどを聴いていました。高校ではバンドを組んでいたので、友人のベースを弾かせてもらったり、ドラムを叩いてみたり、楽器はそこで満遍なくマスターしました。

ーーロック畑の人だったのですね。

Sakai:そうなんです。大学ではラグビー部に入って、またしばらく音楽から離れるんですけれども(笑)、また音楽がやりたくなってラグビーは辞めて、DJやラッパーを入れたミクスチャーバンドを組みました。そこからHouse Of PainやBeastie Boys、Cypress Hillのような、ハードコア・ヒップホップから入って普通のヒップホップを聴くようになり、元ネタのジャズやソウルも好きになって。Mo’ WaxやNinja Tuneを経由してエレクトロも一緒に聞いていたので、気づけばオールジャンル聴くようになっていったんですよね。

ーーしかも、全てちゃんとつながっている。

Sakai:バンドを解散してからは、1人でMPCを叩くようになって。だんだん通っていた大学がある小倉のクラブ界隈で、ラッパーやシンガーのプロデュース的なことをアマチュアながらやるようになりました。今から20年くらい前ですね。そんな時にとある人から「Sakaiくんは作曲家になったらいいんじゃない?」と勧められました当時は「作曲家」という概念がなくて、ドクター・ドレーやロドニー・ジャーキンス、ジャム&ルイスみたいな“プロデューサー”と称される人たちが曲を作るものだと思っていたくらい無知だったんですよ(笑)。それで、日本で作曲家として活動するならと、そこからようやく「邦楽」を本格的に聴くようになりました。

ーーSakaiさんの作る楽曲は、日本人の琴線に触れる美しいメロディが特徴ですよね。

Sakai:それはかなり研究しましたね。いいメロディとは何かを紐解くため、当時は日本のヒット曲を片っ端から聴いて、メロディはどう動いているのかを調べてみたり、アメリカのカントリーバラードって日本のバラードに近いものがあるので、そういうものもずっと聴いたりしていましたね。そのおかげで、メロディを作ること自体はとても上手くなったし、やっていて楽しいですね。

ーーずっとフリーランスで活動していたのですか?

Sakai:はい。当時、仲の良かった友人がCrystal KayのA&Rをやっていて、まずは彼女のアレンジやプロデュースから少しずつ仕事を増やしていきました。とはいえ、まだその頃は本数も少なく当時の本業の歯科医師をやりながら、年に数曲手がけるなどしていましたね。でも、仕事が増え始めると歯科医師をやりながら続けるのは難しくなってきて。人生一回きりだし、音楽で頑張ろうと決めました。

ーー現在、海外と日本を行き来しながら活動しているSakaiさんですが、そもそものきっかけは?

Sakai:日本での仕事がかなり増えて、何年も多忙を極めていたのですが、ある時に「あれ、俺ずっとJ-POPばかり作っているな」と思ったんです。もちろんJ-POPも好きだし素晴らしいのですが、コードの展開が目まぐるしい、いわゆる日本の様式美をずっと作り続けているうちに、本来好きだった洋楽を思いっきりやってみたくなったんですよね。36歳くらいの時だったと思います。それで、思い切って日本の仕事を1カ月休んでアメリカへ行ったんですよね。ニューヨークでブロードウェイやオフブロードウェイ、ジャズクラブなどを周り、ギャラリーなどを覗いて刺激をたくさんもらってきたんです。

 その時に、マスタリング・エンジニアのクリス・ゲリンジャーとアポを取って、スターリングサウンドという世界屈指のマスタリングスタジオを見学させてもらえることになりました。ちょうどジェイソン・ムラーズの「I Won’t Give Up」を手掛けていて、それを聴かせてもらって衝撃を受けたんです。目を閉じて聴いていると、本当に目の前で演奏して歌っているようなビッグなサウンド。「こういうのをやりたい!」と強く思いました。

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