『毅の“カタリタガリ”』第2回

SUPER★DRAGON 古川毅、影響を受けた“歌詞”を語りまくる 2010年代以降に登場した3名の作風

 今年からスタートすることになった連載企画「古川毅のカタリタガリ」、前回が初回ということで、実際にどんなリアクションがあるのか、すごくドキドキしながら公開を迎えたわけですが、リアルサウンドの編集部にも多くの反応が届いたと聞きました。ほんとうにありがとうございます。

 引き続き、僕が影響を受けたカルチャーや尊敬するアーティストについて、毎回テーマを設けて語っていきますので、なにとぞお手柔らかに(笑)。

■第2回「歌詞」

 前回は“ボーカリスト”をテーマに、大きく歌そのものの持つ魅力や歌唱法などについて話しましたが、今回は歌詞にフォーカスします。一言で歌詞と言っても、喜び、怒り、悲しみ、割り切れない感情など、それを書くに至った原動力はその人のその瞬間の数だけありますし、自分自身の体験談、恋愛や仲間のこと、社会風刺やポリティカルなこと、語感重視で特に意味はない言葉など、込められたメッセージや方向性も無数にある。

 そんななか、歌詞と人の繋がりにおいて、よく“共感できる”という話が出てきます。あの頃の自分はそんな感じだったとか、まさに今がその状態だとか、多くの人が経験したことの代弁的な良さもすごくわかるんですけど、僕はそれに触れたことが気づきや学びのきかっけになるようなものが好きです。誰かの人生に新しい考え方を与えたり、視点を変えたり、人や社会がより良くなっていくうえでの土台になるような言葉ですね。

 そこで僕が最初に大きな影響を受けた曲は、Mr.Childrenの「擬態」です。特に〈富を得た者はそうでない者より 満たされてるって思ってるの!? 障害を持つ者はそうでない者より 不自由だって誰が決めんの!?〉というフレーズ。10代前半~半ばに抱えていた、俗に言う幸せであることに対する違和感に、ひとつの正解を与えてくれたような感覚と同時に、これからずっと考えていかなければならない問題を突き付けられたようにも思いました。自分の経験や知見で何かに対してここまで言えるのか。生きていくこと、表現していくことの軸になっている言葉です。

 もう一曲、宇多田ヒカルさんのデビューシングル曲「Automatic」も、僕が生まれる少し前、1998年末に出た曲で後追いではありますが、シンガーとして活動していくにあたって、重要なポイントになりました。R&Bはアメリカを中心に発展していったジャンルで、歴史も長いし独特のノリがある。その特性を損なわずに日本語で歌っていたシンガーは、例えば久保田利伸さんのように、それ以前にもいらっしゃいましたが、宇多田さんもまたR&Bを日本の大衆的なレベルにまで浸透させた最重要アーティストの一人。宇多田さんの登場をリアルタイムで経験した多くの先輩から、音楽業界最大のセンセーションだったと、しょっちゅう話を聞くんです。歌いだし〈七回目のベルで 受話器を取った君〉の、〈七回目のベル〉って何気ないけどそうそう思いつかないフレーズですし、 “七”というワンワードを“ナ”と“ナ”で切るとか、すごく自由でグルーブがある。R&Bっぽくてなおかつはっきりした日本語としてすごく立っていて、そもそも受話器を取った経験がほとんどない僕らスマホ世代にも馴染んでいる。すごいことですよね。

 というわけでここからは、Mr.Children「擬態」で意識するようになった“新しい自分”、そして宇多田ヒカルさんに感じた“言葉のグルーブ”という二つの軸を踏まえたうえで、オンタイムで体験できた10年代以降のアーティスト3名の魅力を僕なりに語っていきます。

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