ももいろクローバーZの歴史を紐解く 第1回:“ライブアイドル”としての下積み時代

「地下アイドル」という言葉が生まれた時期

 そしてこのあたりから、アイドルシーンに興味深い傾向が生まれていた。2005年にAKB48が誕生。秋元康がプロデュースということもあって、メディアでも取り上げられていた。ただ、AKB48が軸に置いていたのはライブだ。専用劇場を持ち、そこで連日、お客が多かろうが少なかろうが公演を敢行。「現場」を活動の主戦とした。

 それまでアイドルといえば、モーニング娘。を筆頭に、テレビなどメディアを使って人気と知名度を上げ、CDやDVDのセールスにつなげ、コンサートへとお客を導く流れが一般的。アイドルはテレビの向こう側の存在だった。だからこそAKB48の「現場主義」は斬新に映った。AKB48が掲げた「会いに行けるアイドル」という現象により、ライブハウスというお客の手が届くところまでアイドルがおりてきた。この頃から「地下アイドル」という言葉を耳にするようになり、ご当地アイドルも増えていったイメージだ。

 モーニング娘。のブレイクによって2000年代からのアイドルシーンのトップがはっきりし、そのあとAKB48の出現をきっかけに地上、地下のラインが引かれ始めた。ももクロは、スタダ所属とはいえライブアイドル=地下アイドルに分類されていた。

 ももクロが主戦場としていた代々木での路上ライブは、都条例改正で続行できなくなり、飯田橋ラムラへ会場を移す。また、2008年末から2009年にかけてメンバーの脱退・加入が相次ぎ、高井らが抜けた。佐々木彩夏、早見あかりがももクロに加わったのは2008年11月だ。飯田橋ラムラでの公演は2009年1月まで。入場者が入りきれなくなって、以降は秋葉原・石丸電気が中心となる。活動範囲があきらかに広がった。

 筆者がももクロを認識し始めたのもこの頃だ。2008年12月に中島愛のクリスマスイベントに、オープニングアクトとして出演。人気アニメ『マクロスF』のランカ・リー役で声優デビューし、楽曲も大ヒットするなど注目されていた、“まめぐ”こと中島愛。今ほど即興性がなかったネットの情報で“まめぐ”のイベントの様子を見て、ももクロの存在を知った。

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