ももいろクローバーZの歴史を紐解く 第1回:“ライブアイドル”としての下積み時代

語り継がれている代々木公園での路上ライブ

 2008年に入り、プロジェクトは本格始動。百田の母親の発案でグループ名が「ももいろクローバー」に決まり、5月17日に川崎アゼリアでおこなわれた「スターダストプロモーション芸能3部オーディション」でお披露目。当時は、伊倉愛美、高井つき奈、高城れに、玉井詩織、百田夏菜子、和川未優の6人編成。「あの空へ向かって」が披露された。

  同年7月から、今も語り継がれる渋谷・代々木公園けやき通りでの路上ライブがスタート。なぜ路上だったのか。それはAKB48のような専用劇場を持てるほどの資金力が、このプロジェクトにはなかったから。川上は『ももクロ流』で「当時はいかにお金をかけないで爪痕を残すにはどうすればいいか、そればかり考えていました」と語り、ももいろクローバーZ公式記者・小島和宏は自著『ももクロ 非常識ビジネス学』(2019年)のなかで、路上ライブについて「「持たざる者」の逆転の発想」と言い表している。

  同著で小島は、アイドルを売り出すノウハウを運営サイドは持ち合わせていなかったとしながら、しかし「川上アキラをはじめとして、スタッフたちは芸能界の厳しさをこれまでの現場の経験で熟知している。ならばメンバーに集客の難しさを身をもって知ってもらったほうがいい。無料のライブでアイドルがチラシを手渡ししているのに、基本、誰も興味は持ってくれないという「現実」。まだ子どもだったメンバーにとってそれは衝撃的な事実だったはずだが、それを知っているかどうかはのちのち大きな差になってくる」と記している。確かに、その後のももクロの奇想天外な売り出し方は、この下積みが効いている。自分たちのことをいかにして知ってもらうか、その意識の基盤が作られたのではないか。

  路上ライブ期は、写真、動画の撮影がOK。そのときの初々しい姿は現在、検索すればいろいろ観ることができる。高城が自己紹介でタップダンスを披露したときのお客さんの静かな反応。曲中に衣装の早着替えにチャレンジしたときの雑な脱ぎ捨て方と、それを堂々とかき集める関係者の様子。国民的アニメの音楽にのせて繰り広げられる寸劇。垢抜けていない様子が生々しく記録されている。「ももクロ」と言われなければ分からないほど、まだまだつたない部分がある。

 ちなみにこういった映像を観てあらためて思うのは、私たちマスコミは誰かの「好き」に乗っかって仕事をしているのだということ。メディアが何かの第一発見者になることはほとんどありえない。アイドルの世界で言えば、その資質を最初に目撃するのはヲタクだし、広めるきっかけを作るのもまたヲタク。「モノノフ」という呼称もできていなかった、この時代。何者でもないグループの路上ライブを撮り続けたファンには、本当にリスペクトの気持ちしかない。まさしく日本アイドル史に残る重要資料である。

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