w-inds. 橘慶太×Hiroki対談【前編】 歌からサウンドへ、“全部できるようになりたい”気持ちが運んだトラックメイクへの道

w-inds. 橘慶太×Hiroki対談

 w-inds.のメンバーであり、作詞・作曲・プロデュースからレコーディングにも関わるクリエイターとして活躍中の橘慶太。KEITA名義でも積極的な音楽活動を行っている彼がコンポーザー/プロデューサー/トラックメイカーらと「楽曲制作」について語り合う対談連載「composer’s session」。第7回はSLAY名義でDJ活動も行うトラックメイカー/プロデューサー・Hirokiとの対談をお送りする。

 Hirokiは、2019年にAfrojack主催のリミックスコンテスト『Global Remix Battle I』で唯一日本人として入賞を果たし、才能を見いだされた気鋭のアーティスト。最近では、EXILEの最新曲「RED PHOENIX」やGENERATIONS「Lonely」などLDHアーティストの楽曲制作にも参加しており、楽曲クレジットで名前を目にする機会も増えてきた。そんなHirokiと橘慶太の出会いは数年前。今ではプライベートでもマニアックな音楽トークに花を咲かせているという。前編となる本稿では、これまで二人があまり話をしてこなかったHirokiの音楽活動のルーツや、橘慶太の尊敬するプロデューサーなどの話題で盛り上がった。(編集部)

w-inds.の曲を歌っていた時期も シンガー志望から始まった音楽人生

Hiroki
Hiroki

橘:最初に会った時のこと、覚えてる? 覚えてなかったらショックだな(笑)。

Hiroki:たぶん、舞浜かな?

橘:そうそう。数年前にライジングプロダクションのフェス(『RISINGPRODUCTION MENS ~5月の風~』)があって、そこにHirokiが共通の知人と一緒に来たのがきっかけだよね。その時に「w-inds.が好きだった」って言ってたけど。

Hiroki:僕、もともと洋楽はまったく聴いてなくて。それこそ、DA PUMPとかw-inds.をめちゃめちゃ聴いてたんですよ。

橘:あれ嘘じゃないんだ(笑)。その流れで「トラックも作ってる」という話を聞いて、僕もちょうど曲を作り始めていた頃だったので意気投合して。

Hiroki:「We Don't Need To Talk Anymore」が出る前ですよね。でも僕、話をした時は正直KT(橘慶太)がそんなに曲を作れる人だと思っていなかったんですよ。それであのシングルが出て。「これ、やってんな」と思って。

We Don't Need To Talk Anymore(MUSIC VIDEO Full ver.+15s SPOT) / w-inds.

橘:(笑)。そこから僕がHirokiの作った曲を聴かせてもらったのは「We Don't Need To Talk Anymore」のリミックスコンテストの時。実はHirokiも参加してくれていて、めっちゃいい曲だったんです。僕的には一番好きだったと言っても過言ではないぐらい好みのサウンドでしたね。「こんないいトラック作るんだ」というところから、どんどん仲良くなったんだよね。

Hiroki:そうですね。ご飯に行って、家のスタジオにも呼んでもらって。

橘:勉強会を二人でやったりしてね。そんな出会いから今やトラックメイカーとしてすごく活躍していて。Hirokiとは普段からマニアックな話はするけど、ルーツはよく知らないなと思ったので今回声をかけさせてもらいました。まずは、音楽を始めたきっかけについて知りたいです。

Hiroki:僕の最初のきっかけは、トラックメイクじゃなくて歌なんですよ。19、20歳くらいの時ですね。どこかに所属していたわけでも、どこかで人前に出るわけでもなく、ボイトレに行ったりしていて。全然上手くはないですけど、どっちかというと声が高い方で。だから聴いていて「これ歌えそうだな」っていうのでちょうどw-inds.の楽曲にハマってたんですよ。

橘:うちの事務所は声が高い人が多いから(笑)。

Hiroki:そう。DA PUMPのISSAさんとかもすごいじゃないですか。それで弾き語りもやりたいから独学でピアノを覚えて。その時は大阪にいたんですけど、本格的にやるなら東京に行かないとダメだなと思って、あてもなく上京して。

橘慶太
橘慶太

橘:それは何歳くらいの時?

Hiroki:22歳くらいですかね。で、それくらいから洋楽もちょっとずつ聴き始めて。例えば、クリス・ブラウンとか、Ne-Yoとかを「めちゃくちゃいいじゃん」って聴くミーハーな感じというか。

橘:でも、俺も好きな感じは一緒だよ。

Hiroki:ほんとですか? そういう音楽を「J-POPよりめちゃくちゃかっこいいじゃん!」と思い始めるようになったんです。さらにダンスミュージックがどんどんEDM化していった時期でもあってドハマリしました。知人がAbletonを使い始めた影響で僕も使うようになって、そこからずっとAbletonで曲作りをしています。だから曲を作り始めた最初は、クラブミュージックでいい音を作りたかったんですよ。J-POPとかの歌ものじゃなくて、DJのサウンドを作りたかった。

橘:その時は、もう歌は完全にやめてトラックだけになったんだ。

Hiroki:そうそう。マーティン・ギャリックスが出始めた頃だったんですけど、「DJをやりたい」じゃなくて、先に「こういう音を作りたい」でしたね。

橘:トラックメイクを始めてからはだいぶ速いスピードで成長したんじゃない?

Hiroki:とにかくずっと作ってましたからね。でも遠回りはいっぱいしましたよ。教えてくれる人が誰もいないから。例えば、YouTubeにあった動画で「この方法はすごい!」と思ってやってみても嘘だったりするじゃないですか(笑)。

橘:(笑)。中にはダメなものもいっぱいあるよね。そういうのを試しちゃってたんだ?

Hiroki:イチから全部試してた(笑)。だから学校に行っている人たちに比べたら、大回りしながら正解に辿り着く感じでした。トラックを作り始めてからはもう7~8年は経っていると思います。

橘:そこから他のことには見向きもせず、トラックメイクに人生を費やしているよね。

Hiroki:それだけですね人生(笑)。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「連載」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる