稲垣吾郎&草なぎ剛&香取慎吾、森且行選手と交わした新たな約束 中居正広からのメッセージも伝えられた『ななにー 元旦SP』
「夢は諦めなければきっといつか叶う」ーーともすればキレイごとに聞こえるような言葉を信じさせてくれる人のことを、私たちは「スター」と呼びたくなるのだろう。
稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾による月1レギュラー番組、『ななにー』こと『7.2 新しい別の窓』(ABEMA)が、1月1日の元日に生放送を行なった。1年の始まりのスペシャルなタイミングで、最初にゲストとして登場したのは、昨年11月に日本一に輝いたオートレーサーの森且行選手だった。
ベストフレンドに誓った人生をかけた夢
1996年、SMAPが国民的アイドルグループの階段を駆け上がった人気絶好調のタイミングで、子供の頃からの夢だったオートレーサーへの転身を決意した森選手。グループを去るからには「日本一になる」という約束を必ず守ると誓って。オートレースの養成学校への入学倍率は27倍という狭き門。トップアイドルとして忙しい日々を過ごしながらも、楽屋で勉強をしていたのを香取も草なぎも稲垣も覚えていた。数年で獲れると思っていた日本一の称号。しかし、その道は想像以上に険しく、焦る気持ちから転倒も経験した。訓練中の落車により足が逆方向に向き、半年間歩けないほどの大怪我をしたこともあったという。
気づけば、40代に突入した森選手。約束した「日本一」=日本選手権オートレース(SG)の優勝記録は最年長で39歳だった。「40歳を過ぎてからは厳しいのかなって」と率直な思いを語る。それでも「自分の力じゃなく何かチャンスがくるんじゃないか」と諦めずに走り続けてきたのだ、とも。24年かけて叶えた夢。それは鬱屈とした2020年を過ごすNAKAMAにとって、久しぶりに心が踊るニュースだった。
2人っきりトークで見えてきたそれぞれの関係性
番組では稲垣、草なぎ、香取が、森選手と2人きりの部屋で語り合うコーナーを設けた。同い年で、1988年に同じオーディションを受けた稲垣と森選手とは、まさに同級生のよう。付かず離れず、お互いのペースを乱すことなく見守る。森選手が優勝したときにも、「心の中のつぶやき」として想いを秘めていたのも特徴的だ。話す内容も2人だけの思い出というより、「木村(拓哉)くんも同じころかな?」とメンバーを絡めた俯瞰的な風景が広がる。唯一、連絡先を交換している間柄なのに「うっかり消しちゃった」と笑い合える遠慮のなさも彼ららしい。細く穏やかに繋がる関係が、これからもゆるやかに続いていくのだと予感させる。
一方、地元の先輩後輩のような関係性を見せたのは、草なぎだ。“いいひと”のイメージが定着する前、尖ったところもあったという草なぎ。森選手が「剛!」と呼べば、「あぁ!?」と返事をしていたという。2人のトークを聞きながら香取の耳には懐かしい音が蘇ってきたようだ。ファッションやバイクなど、少年期の草なぎが抱いていた憧れをすべて持っていた森選手を、「男の中の男」と今でもリスペクトしてやまない。北千住駅のホームでバク転をさせられた話は何度聞いても笑ってしまうし、オートレーサーとなった森選手に代わってタイヤの使い方を熱弁して「そうでしょ? 森くん!」と聞く姿も微笑ましかった。
そして、最も森選手に懐いていた香取は、まるで生き別れた兄弟のような心境を明かす。まだ10代だった香取にとって、森選手の決断は「裏切り」とも取れたこと。「なんでそんなことをするの?」と悔しい思いを噛み締めて号泣しながら帰ったこと。そのときの想いを、言葉を選びながら、「SMAP終わったと思った」と吐露。徐々に彼らの口から発せられることが多くなった「SMAP」の名前も、香取が言うのはかなり限られたタイミングのように感じた。「森くんのせいじゃないんだよ」とはにかむ香取。人生には誰が悪いわけではなくとも、歩む道が別れることがある。悲しくて寂しくてやるせない別れを「そうして良かった」と振り返ることができるのは、その道の先にある夢を叶えたときでしかない。