中島由貴に聞く、芸歴15年のキャリアが育んだ仕事に対するプロ意識「考え方や仕事に対する姿勢もお母さんから学んだこと」

 諏訪ななか、Machico、木戸衣吹ら人気声優〜若手まで、多数の女性声優がメンバーとして参加する音楽バトルプロジェクト『IDOL舞SHOW』。同プロジェクトは、アニメ音楽シーンの第一線で活躍する音楽プロデューサー・斎藤滋、冨田明宏、木皿陽平の3名が、NO PRINCESS、三日月眼、X−UCという3ユニットをそれぞれプロデュースし、「天下旗争奪バトルロイヤル」と名付けられたレースで競い合う。

 リアルサウンドでは、『IDOL舞SHOW』の各ユニットに参加する新鋭声優を3名ピックアップ。そのラストを飾るのは、モデル、子役とキャリアを重ね、声優として『アイドルマスターシンデレラガールズ』『BanG Dream!』などのプロジェクトでも活躍する中島由貴。現在23歳という若さながら様々なジャンルで活躍してきた彼女は、なぜ声優という道を選んだのか。芸歴15年のキャリアを辿りながら、仕事に対する姿勢、プロ意識を育んだ母親の存在の大きさを聞いた。(編集部)【最終ページに読者プレゼント有り】

「やっぱりお母さんの言ってることは正しかったんだ!」

中島由貴

ーー中島さんは芸能のお仕事を始めて、すでに15年近く。人生の半分以上をこの世界で過ごしているわけですよね。

中島由貴(以下、中島):そっか、そうなりますよね(笑)。あっという間というか、気づいたら15年経っていた感覚ですね。それこそ小さい頃は、やらされていた感も多少あって、友達とも遊びたいですし、普通に生活をしたいという気持ちがあったので、「ダンスレッスンとか演技レッスンとか、なんでやるんだろう?」みたいに考えることもありました。でも、小学4年生ぐらいのときに初めてオーディションに受かって、お仕事をさせてもらう機会が増えて。スチール撮影だったりCMだったりドラマだったりと、立て続けにお仕事がポンポン決まったあたりから「ああ、芸能のお仕事って楽しいんだな」と気づいたんです。

ーーそうだったんですね。

中島:事務所に入る前は百貨店のファッションショーに出たり、百貨店に入っているブランドのカタログモデルとかはちょくちょくさせてもらってはいたんですけど、その頃の記憶はすでにあまりなくて(笑)。

ーー何かやっていたぞ、程度の?

中島:そう。お母さんに「笑顔を練習しなさい」とか「ポージングを研究しなさい」と言われたみたいな、やんわりとしか記憶しか残っていなくて。そこから、中学のときはもう事務所をやめていて、フリーとして学業と両立させながら仕事をしていたんですけど、その頃は雑誌の専属モデルだったり百貨店のイメージモデルみたいなものもさせてもらっていました。中学1から2年ぐらいのときには女子小学生をターゲットにしたファッション雑誌の専属モデルをしていたんですが、その中では私が一番年上で。雑誌的にも自分は中学生だけど、憧れの女の子になれたらなと思いながら仕事をしたりしていました。いろんなお洋服を着て、百貨店を回って撮影会をしたりとか。今思うと、たくさんの子と一緒に写真を撮って名刺を配ったりとかしていました(笑)。

ーー名刺ですか!

中島:その雑誌の編集長さんが「名刺を配ったら名前も覚えてもらえるんじゃないか?」みたいなことを言っていて、毎回撮影会で撮った写真を1枚選んで、それを名刺にして配っていた記憶があります。その頃は個人でアメブロも更新していて、土日は1日3回していたんじゃないかな。あとは、アメーバピグで雑誌を観てくれている女の子たちと交流することもありましたね。

ーー自分の意思が入り始めてからお仕事が楽しくなったり、これをやってみたいという積極性も生まれてきたのかなと思いますが、それと同時にプロ意識みたいなものも子供ながらに少しずつ芽生えてくると思うんです。そういうことを意識したことはありましたか?

中島:「やっぱりお母さんの言ってることは正しかったんだ!」みたいに感じることは増えました(笑)。たとえば、小さい頃に「日焼けは絶対にダメだ」と言われていたのも、モデルをするようになってその意味を理解して、自分から日焼け止めを塗るようになったり、芸能のお仕事をする中での「当たり前」の部分を少しずつわかっていったのかな。そういうのは親の影響が結構ありますね。あとは、小学生のときに入っていた事務所さんからも「日焼けはダメですよ、髪の毛を染めちゃダメですよ、太っちゃダメですよ」と言われてきたので、常日頃から体型を気をつけようというのは、そこで芽生えた気がします。

「マルチな活動ができる人になりたい」から声優に

ーー高校生になってから、初めて声優というお仕事を意識したそうですね。

中島:はい。小学校の頃からゲームがめちゃくちゃ好きで、当時はそのキャラクターに声を当てている声優さんのことをよく知らなかったんですけど、高校に入ってから周りの友達が声優さんにハマり始めて、その話題についていけるように私も勉強し始めたんです。そこから声優さんのイベント動画を初めて観て、ステージ上で朗読劇をやっていたり、後ろでアニメが流れるところに生アフレコをしたり、それこそ歌って踊ったりしていることを知って、「声優さんって声だけじゃなくて、表にも立つんだ!」と驚いたんですよ。私は小さい頃からいろんなお仕事をさせてもらっている中で、マルチに活動してみたい、そういう活動ができる人になりたいという気持ちが強かったので、声優さんってまさにそれに当てはまるのかなって気づいて。高校2年生のときに「私、声優さんになりたい!」と思い、事務所に応募したりオーディションに送ったりした結果、今に至るという(笑)。

ーー実際なってみると、外から見ていた頃との違いに気づくことも多々あったのかなと思いますが。

中島:もともとそんなに知識がなかったですし、ただ単にキャラクターに命を吹き込んでいる人という認識しかなかったので、「アフレコってこんな大人数でやるんだ」とか「ゲームの収録ってひとりなんだ」とか、すべてが新鮮でした。それこそ、言ってしまえば「おうちに帰ってからの宿題が多いお仕事なんだ!」ということもそうですよね。演じる役によっては歌ったり踊ったりすることもあれば、楽器を弾くこともあるので、それをおうちに帰ってからも練習しなくちゃいけないってことと、加えてナレーションやゲームの台本だったりチェックしなくちゃいけないものがたくさんあるので、そこにもびっくりしました。

ーーモデルのお仕事を中心にやっていた頃とは、別の意味での自分磨きが必要になるわけですね。

中島:自分の体や喉のメンテナンスはもちろん、演技や歌、ダンスのスキルというのも補っていかなければいけないので、自分でレッスンしてキャラクターになりきれるように頑張るということが今までとは全然違いますね。それこそ歌って踊ることに関しては先輩方がやられていたものを観ていたんですけど、まさか楽器まで弾くとは(笑)。やっぱりキャラクターの声を演じているからこそ出せるシンクロ度の高さこそが、演技をしているときに感じる素敵な瞬間だと個人的に思うので、大変なことかもしれないですけど納得ですよね。

関連記事