『ヘヴィ・メンタル・アティテュード』リリースインタビュー
怒髪天 増子直純が考える、現状を踏まえた“ロックバンド”の在り方 「状況がヘヴィであればあるほど、ユーモアが大事」
「困ったときだけ助けてくれというのは、虫がよすぎる話なんじゃないか」
――アルバムの楽曲について伺いたいのですが。まずは1曲目から壮大なスケールを描く「SADAMETIC 20/20」。先日の野音で終演後の雨が降り頻る中、この曲が大音量で轟いたインパクトが凄すぎました。
増子:今の若いヤツらが聴いたら「なんだこれ?」と思うだろうけど(笑)。信じられないくらい力強くダサいからね。80年代のスタジアムロックの大袈裟さと、70年代のYesあたりのプログレッシブロックが表す宇宙感。この力強くデカいスケールこそ、今だなって。『宇宙戦艦ヤマト』の気分なんだよね。
――わかります。SFアニメとか、70~80年代に考えてた近未来感とでもいうか。ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)あたりのプログレ味もあるし。
増子:Survivorとかね、いろんなもの入ってるよね。ジャケットも『宇宙船地球号』(レイジー)だよね。プログレとかメタルとか、そういう壮大なアートロックっぽい感じにしたいなと思ってね。この顔は4人の合成なんだよ。シミ(清水泰次/Ba)の眉毛のおかげで志村けんっぽくなってるけど(笑)。
――怒髪天はこれまでいろんなジャンルの曲をやってきましたけど、プログレやメタルはある意味で一番遠いところにあった音楽ですよね。
増子:だっせぇなと思ってたからね、昔は(笑)。それが今やっと消化できたというか。プログレもメタルも全然聴いてこなかったんだけど、ここ10年でいろんなものを聴いて、それぞれの良さというのがわかった。プログレじゃないと表せない心情があって、メタルじゃないと表せないものが多々ある。曲の題材というか本質は、ジャンルというものに目眩しされていたんだなと。それはここ10年くらいでわかったかな。
――ジャンルという上辺的なものによる偏見だったり、本質がわかりづらくなっていることって、意外とありますよね。
増子:無駄なんだよね、いろんなものが。でも、その無駄こそが美しくて楽しいものなんだよ。俺は札幌で生まれ育って、札幌も割と都会だから、東京にある必要な物って大体あるんだよね、お店にしても物にしても。でも東京の何が面白いかって、それ以外の無駄なものがいっぱいあるんだよ。地方にまで持っていくまでもないものが。そこの面白さというか、そこに何か文化的なものが生まれる隙間が、もしかしたらあるのかなって。そういうのを音楽の中でも感じるよね。
――そういった無駄というか装飾とでもいうか、ジャンル的な遊びもいろいろ入ってますね。「憎まれっ子のブーガルー」なんて最近のバンドじゃ絶対出せないサウンドですし。70~80年代のハードボイルド感漂う、コーラス掛かったギターとベースの絡み方だったり。
増子:あれ、いいよね。イメージ通りにうまくできた。こういうの聴いてきたからね。それが自分たちなりに再現できた。いろんなものが試せるのは楽しいよ。
――いろんなタイプの曲がありますけど、どの曲も怒髪天らしく、バンドとして筋の通ったものを作品通して感じられるのはさすがだと思いました。
増子:そうね、まず「孤独なエール」ができたときに、一つの大事な核ができたと思った。あとは音楽的にも色々遊べるなと。アルバム収録の曲を10曲作るとなったときに、核となる曲が後のほうにできると、他の曲が揃えづらいというか。どっちに寄せていくのか難しくなることもあるんだけど、今回は最初にできたから遊びやすかったし、バリエーションをつけやすかったよね。「孤独なエール」はずっと歌おうと思っていたテーマだから。自分を励ますのは、結局自分しかいないという諦念的なもので。諦めでもあるし、希望でもあるという。自分だけでも自分を応援できればなんとかなるんだっていうね。
――「孤独なエール」は5月のリリースから、7月の京都での無観客オンラインライブ、そして9月の日比谷野音有観客ライブと、その時々で聴こえ方、意味合いが変わっていったように感じました。
増子:これまでの曲も今の状況でやると、聴こえ方や意味合いがちょっと変わってくる、というのも結構あるからね。楽曲やライブは生き物なんだよね。毎回同じではない、生きてるんだよ。
――「ヘイ!Mr.ジョーク」は怒髪天らしいユーモアが炸裂している曲ですね。
増子:これは坂さん(坂詰克彦/Dr)のことを歌ってるわけだけど、みんなの周りにもこういう人っていると思うのよ。お父さんだったり、近所のおじさんであったり。そういう人って「何やってんだよ」と思うことも多々あるけど、こういう時こそ、そこに救われるんだなっていうのがあるから。さっきの無駄なものじゃないけど、人としての役割というのは意外とこういうところにあるんだなと。「バカだなぁ」と思ったり、そこでクスッと笑えるだけだけでもこの重たい空気の息抜き、ガス抜きができれば。本人はそんなこと考えてないんだろうけどね(笑)。
――「駄反抗王(ヨミ:ダハンコキング)」は曲調は楽しげですが、風刺混じりの歌詞が印象的です。
増子:ただ批判的な歌詞を書いても楽しく聴けないというか、音楽として楽しくならないし、響かない。「音楽って素晴らしいものなんだよ」なんて、曲にするまでもないというか、そりゃそうでしょうで終わる。そうじゃなくて、そこにユーモアを乗せていくことで聴こえ方が変わるんだよ。“だはんこく”というのは北海道弁で“駄々をこねる”という意味で。「だはんこくんでない!」って言われたりするんだけど。「駄反抗王」はそれの王様だね。漢字は当て字なんだけど、ちょうどいい具合に収まった。
――〈こんな時に歌なんか要らない 楽しい気分は不謹慎〉なんて、世間でよく聞いた意見ですけど、こんなことをはっきり歌えるバンドは怒髪天くらいだと思います。
増子:コロナになって、困っている人、いわゆる文化芸術に対しても国が助成しますよと。そこにロックバンドが乗っかっていいの? っていうさ。俺のプライドとしては、ないんだよね。今まで社会体制に対して批判的なことを言ってきたのに、困ったときだけ助けてくれというのは、虫がよすぎる話なんじゃないかって、俺は思う。ロックバンドっていうのは、文化芸術と比べるほど高尚なものではないとも思うしさ。ただ、メーカーや事務所というのは総合的にいえば文化芸術に貢献しているわけだから、会社自体は助成を受けるのはいいと思うけど、いちバンドとしてと考えるとなんか違うんじゃないかなと思うんだよね。背に腹は変えられなくとも、武士は食わねど高楊枝じゃないけど、ちょっと矜恃を多少なりとも持った方がいいんじゃないの? という場面も多々見受けられるし。そりゃ、悪いことではないよ。「くれる」と言ってるんだから貰えばいいという考え方もあるし。ただ、俺的にはねぇかな。
――それは野音でもおっしゃってましたよね。「なんでもかんでもクラウドファンディングすればいいわけじゃない」とも。
増子:周りから提案されてやることであって、自分から提案するものではないんじゃないかなと思うんだよね。千葉LOOKにね、昔から出ているバンドが「助けたいからコラボでTシャツ作りましょう!」って言ったら、断られたんだっていうんだから。「お前らのチケットノルマをまけてやったこともないのに、俺が助けてくれなんて言うわけないだろう。潰れたら潰れたでまた金貯めてやり直すよ」って。これは漢だなって。バンドとライブハウスの関係はそういうもんで、五分の付き合いだと思うんだよね。ただ、そこまで断る必要はないと思うけど(笑)。愛されてるライブハウスはみんな「残って欲しい」と思うわけだから。それによって周りが「助けたいからクラウドファンディングやりますよ」って言うんだったらわかるんだけど。