BAROQUEがヴィジュアル系シーンに持ち込んだ鮮やかなカウンターカルチャー 音楽や芸術を追求し続けた姿勢に迫る
2020年9月8日、BAROQUEの無期限活動休止、そして怜(Vo)の音楽活動からの引退が発表された。新型コロナウイルスの勢いが衰えず、先の見えない状況下で音楽業界全体が苦しい思いをしている真っただ中の発表だった。BAROQUEが歩んだ道のりは、決して順風満帆ではなく、紆余曲折ある茨の道だ。そんなハードな道を歩みながらも、彼らは天性のセンスの良さでシーンの活性化へ繋がる新たなジャンルを生み出し、理想の音楽を追求し続け、洗練された楽曲たちを世に送り出してきた。本記事では、BAROQUEの功績と歩んだ道のりを改めて振り返りたい。
2001年に結成したBAROQUEは、ヴィジュアル系の中でも「オサレ系」と呼ばれるジャンルをシーンに定着させたバンドだった。彼らが現れる以前のシーンは、ヴィジュアル系黄金期である90年代の流れを汲んだ、重くダークなバンドが中心で、DIR EN GREYやPIERROTを筆頭に、後の“ヴィジュアル系御三家”となるMUCCや蜉蝣も頭角を現し始めていた。そこに突如現れ、鮮やかなカウンターカルチャーを持ち込んだのがBAROQUEだった。
楽曲においては、シャッフルリズムやラップを取り入れたサウンドに、身近な話し言葉で構成された共感性の高い歌詞がのせられ、これまでのヴィジュアル系の王道である退廃的で難解な楽曲とは明らかに一線を画していた。さらに、それまでヴィジュアル系バンドの衣装といえば、耽美なゴシック系や、黒のエナメルに鋲やベルトをあしらったボンテージ調など、バンドの世界観とリンクした現実離れしたものが主流だったが、BAROQUEが着ていたのは、デニムやシャツなどのカジュアルな原宿系ファッション。特に怜は、短い前髪や、首に巻いたバンダナ、少しズラしてかける伊達メガネなどの個性的なスタイルが特徴で、彼に憧れたバンドマンやファンがこぞって真似し、当時のシーン全体におけるブームになっていた。
何もかもが新鮮だったBAROQUEは、そのカリスマ性を武器に瞬く間に人気バンドへと急成長していき、彼らのフォロワーと呼べるバンドも急増した。オサレ系はシーンにおける流行ジャンルへと拡大し、中にはアンティック-珈琲店-やSuGなど、日本武道館でワンマンライブを行うほどの人気バンドも現れた。このムーブメントは2000年代後半まで続いた後、徐々に衰退するが、現在ヴィジュアル系シーンの中心を担っている世代には、BAROQUEに憧れていたバンドマンも多い。事実、彼らが無期限活動休止を発表した際、ファンのみならず現役のバンドマンからも熱のこもったコメントがSNS上で多く寄せられた。
また、オサレ系がヴィジュアル系のジャンルとして定着した後は、オサレ系とコテ系(90年代の流れを汲んだ王道のV系ジャンル)を掛け合わせた「コテオサ系」という新たなサブジャンルや、オサレ系をさらに派手で明るい方向へ寄せた「キラキラ系」と呼ばれるバンドも現れた。オサレ系があったからこそ生まれたジャンルがあり、そこに分類されるバンドも数多く出現したことを考えれば、オサレ系の元祖とも呼ばれるBAROQUEがシーンに与えた影響は測りしれない。“明るくPOPなヴィジュアル系”を根付かせ、同じシーンの中に多種多様な音楽性のバンドが居ることを当たり前の文化にするための第一歩は、BAROQUEが踏み出したといっても過言ではないだろう。