RADWIMPSの楽曲が連想させる“夏” 「夏のせい」や「セプテンバーさん」から野田洋次郎の視座を読み解く
RADWIMPSの楽曲はスポーツ大会のテーマ曲や清涼飲料水のCMソングに多く起用されている。「君と羊と青」「サイハテアイニ」「カタルシスト」、そのどれもが光る汗や鮮やかな青をイメージさせ、晴天や青空によく映える。夏を直接的に描くことはせずとも、RADWIMPSのアッパーでオープンな楽曲にはいつだって夏の景色が浮かんでくる。また2006年に発表した「バグッバイ」の〈寂しげな冬にあの夏を見せてあげたい〉という描写などからも明らかなようにRADWIMPSにとっての夏はポジティブなフィーリングを持つ。なぜ野田洋次郎はこれほどまでに夏に強く前向きな気分を乗せるのだろうか。この点を掘り下げていくと、この季節にぴったりな1曲「セプテンバーさん」に行き着く。
2006年リリースの「セプテンバーさん」は題の通り、夏が過ぎ9月へと向かう心象を描いたセンチメンタルなナンバーだ。公式サイトの解説によるとタイトルの意味は9月3日で、RADWIMPS初のワンマンライブが開催された日とのこと。そしてその前哨戦にあたる全国ツアーは7、8月という夏真っ只中の時期に行われていた。各地を周遊し、その最終公演として辿り着いたワンマンライブという節目。〈そう今だから この声だから 響くセプテンバー〉というフレーズも、その日に賭けていた想いが滴る。RADWIMPSにとっても夏は何かが起こる前触れの季節だったのは間違いない。その実感がこれ以降で夏を謳う楽曲における“奇跡の一歩手前”にある高揚感を嘘偽りなく仕上げているのだろう。
最後にもう1曲。野田が自身の主演映画『トイレのピエタ』の主題歌として書き下ろした「ピクニック」。〈最期の夏の 入り口に立っていたのは〉という歌い出しが示す通り、これも夏の歌だ。死期が迫る主人公を演じた野田は、その感情を曲中に書き残した。絶望の淵、それでも信じようと思えた恋について描いたこの歌は切実な祈りに似ている。極限の状況でも決死で何かに辿り着こうとする主人公の姿は、やはり“奇跡が起こる一歩手前”だ。質感は違えども、夏を舞台にした曲の中で野田が寄せた想いは一貫している。
音楽の中に刻まれた奇跡の予感は、いつも通りとはいかなかった今年の夏にも等しく降り注いだ。この歌たちを聴きながら、夏のせいにして何かを起こせる来夏を待っている。
■月の人
福岡在住の医療関係者。1994年の早生まれ。ポップカルチャーの摂取とその感想の熱弁が生き甲斐。noteを中心にライブレポートや作品レビューを書き連ねている。
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