【全3回】トラップミュージック史(2)アトランタ、フロリダのムーブメントで変化したサウンドの定義

トラップミュージック史(1)サブジャンルとしての誕生とメインストリーム進出の背景から続き)

トラップ以外のアトランタ発のムーブメント

 トラップの人気が拡大する中、アトランタからはトラップ以外のムーブメントも生まれていた。これらのムーブメントに乗り登場したアーティストたちが後にトラップに合流し、トラップをさらなる高みに持って行くこととなる。

 2005年頃にポスト“クランク”的なポジションで人気を博した、スナップミュージックもその一つだ。クランクと同じ遅めのBPMで、808や指を鳴らすスナップ音を使ったクラブ向けのサウンドが特徴だ。スナップの代表的アーティストには、Yung JocやDem Franchize Boyz、そしてD4Lなどが挙げられる。4人組グループのD4Lはヒットシングル「Laffy Taffy」を収録した2005年のアルバム『Down for Life』以外にグループとしての作品を残していないが、メンバーのShawty Loは特に精力的にソロ活動を行っていた。スナップからシーンに登場したが、2007年にはYoung Jeezy系のトラップビートでゆったりとしたラップを聴かせるソロ曲「Dey Know」をヒットさせ、2008年にはソロアルバム『Units in the City』をリリース。ストリート寄りのラッパーとして評価を確立した。また、同じD4Lのメンバーでは、振り切ったテンションと歌うようなフロウを持つFaboも人気を集めた。のちに登場するMigosがShawty Loのソロ曲「I’m Da Man」のパンチラインを2017年のシングル「T-Shirt」で引用するなど、この2人のラッパーは後進のラッパーに大きな影響を与えた。

Shawty Lo『Units in the City』

 2008年頃には、“フューチャリスティック・スワッグ(単にフューチャリスティックとも)”というムーブメントも話題となった。代表的アーティストは、Yung L.A.やRoscoe Dash、Travis Porterなど。陽気なホーンやギター、手数の多いドラムを使った、T.I.やYoung Jeezyのトラップから緊張感を解いたようなパーティラップのムーブメントだ。後にPost MaloneをサポートするプロデュースチームのFKiも、この時期にTravis Porterの周辺からシーンに登場した。また、同時期の2009年に1stアルバム『Butter』をリリースしていたUKのビートミュージック畑のプロデューサーのHudson Mohawkeは、“フューチャリスティック・スワッグ”との共通点がたびたび指摘されていた。その後Hudson Mohawkeはヒップホップに接近し、Luniceと組んだTNGHTでの活動などによりトラップを他ジャンルにまで広める手助けをすることとなる。

Gucci Mane一派による「トラップの別の側面」

 T.I.やYoung Jeezyらがドラマティックで派手なトラップでシーンを席巻する裏で、アトランタの地下では別のトラップが人気を集めていた。Gucci Maneとその一派だ。Young Jeezyがストリートライフをドラマティックに描いたのに対し、Gucci Maneはより日常的な視点でユーモアを交えてストリートライフを語った。メインストリームで人気を集めていたのはYoung Jeezyらのトラップだったが、ストリートの人間に支持されたのはより日常に近いGucci Maneのトラップだった。

 Gucci Maneは元々Young Jeezyとも親しかったため、Drumma BoyやShawty Reddらとも制作を行っていたが、メインプロデューサーはZaytovenが務めていた。Zaytovenは、ドイツ生まれでベイエリアに移住し、その後アトランタに拠点を移した人物だ。ベイエリア時代に高校生だったZaytovenは、吹奏楽部でキーボードを担当していた。スポーツの試合の応援でキーボードを弾いていたところ、たまたま試合を観戦していたベイのラッパー兼プロデューサーのJT The Bigga Figgaに気に入られ、機材を与えられてビートメイクを教わり、ヒップホップのプロデューサーとして開眼したという。

 JT The Bigga Figgaのビートは、打ち込みドラムにキーボードを使った、ややチープながらベイらしいファンクネスのあるサウンドが特徴だ。D-Moeの1994年作『Do You Feel Me?』収録の「A Dose Of Dope」(三連符のフロウも使用)などは、Zaytoven流トラップビートの原型と言えるようなビートだ。ベイ流儀から受けた影響と、教会でピアノを弾いていた経験を持つZaytovenのビートは、同じトラップでもYoung Jeezy周辺の勇壮な音とは全く異なっていた。

D-Moe「A Dose Of Dope」

 2005年のシングル曲「Icy」や2007年発表の「Freaky Gurl」のヒットなどがありつつも、Gucci Maneはなかなかブレイクを果たせずにいた。しかし、膨大なミックステープやアルバムの発表はストリート/インターネット上でカルト的なファンを育み、その熱はじわじわと高まっていった。それが一気に噴出する機会となったのが、当時のGucci Mane率いるレーベル<So Icey>所属のOJ Da Juicemanの「Make The Trap Say Aye」(2008年)のヒットだ。ZaytovenがプロデュースしGucci Maneが客演した同曲は、異様にキャッチーなフックと共に<So Icey>の実力と個性をシーンに浸透させた。以降、Gucci Maneは一気に客演が増加。初期作品にもGangsta BooやLa Chatらを招いてメンフィス勢との交流を深めてきたGucci Maneだったが、この時期には後にトラップの重鎮的な存在となるJuicy JやProject Patとも共演した。Gucci Maneは、2009年にはメジャーレーベル<Warner Music>からアルバム『The State vs. Radric Davis』をリリースして1回目のブレイクを果たすも、翌年の逮捕によりすぐにメインストリームから姿を消してしまった。

OJ Da Juiceman「Make The Trap Say Aye」
Gucci Mane『The State vs. Radric Davis』

 しかし、収監前に残した録音が多かったのか、獄中からも多くの作品を発表した。また、Slim DunkinやOJ Da Juicemanら周辺アーティストの活躍もあり、不在感を感じさせない独特の立ち位置を築き上げた。この時期の周辺アーティストの中で、特筆すべきはパワフルなラップが売りのWaka Flocka Flameだ。2010年「Hard In Da Paint」の大ヒットにより、一気に人気ラッパーに躍り出たWaka Flocka Flameは、そのままの勢いで同年1stアルバム『Flockaveli』をリリース。同アルバムでメインプロデューサーを務めたLex Lugerも、Waka Flocka Flameと共に大ブレイクを果たした。仰々しい重厚なシンセをトレードマークに、Rick Rossらの曲も手掛ける人気プロデューサーとなったLex Lugerは、『Flockaveli』にも参加していたSouthsideらと共にトラップのプロデューサー集団の808 Mafiaを結成した。かつてルイジアナのNo Limitがプロデューサー集団のBeats By The Poundを組織して大量の作品をリリースしていったように、808 Mafiaはアトランタの多作なラッパーたちを支えていった。

Waka Flocka Flame『Flockaveli』

シカゴに飛び火しドリルが誕生

 Waka Flocka Flame「Hard In Da Paint」の大ヒットは、Kanye WestとJay-Zが2011年に発表した「H.A.M.」に結実した。そしてそのKanye Westの地元のシカゴから、トラップの影響を受けた新たなムーブメントが発生した。

 Chief Keefが先導した“ドリルミュージック”は、Young Chopや日本人プロデューサーのDJ Kennらによる、Lex Luger系トラップをベースにした殺伐とした音作りが特徴だ。同じシカゴ産ダンスミュージックであるジュークとの共通点や、Chief Keefの「Bang」(2012年)のリミックスにLil Bが参加したことなどからも注目を集めた。Chief Keefの「I Don’t Like」(2012年)は、Kanye West率いる<G.O.O.D. Music>によるリミックスも手助けして大ヒットを記録。ドリルのシーンからはFredo SantanaやLil Herb(現G Herbo)など多くの才能が登場し、ドリルは全米のヒップホップファンを虜にしていった。

Chief Keef「I Don’t Like」

 「I Don’ t Like」発表当時はまだ17歳だったChief Keefは、多くのラッパー志望の若者に影響を与えた。Chief Keefは後にドラッギーな歌フロウや、アドリブを効果的に用いたトリッキーなフロウを開発。Chief Keefが全米の若者に撒いた種は、後に見事な形で開花することとなる。また、オートチューンを用いてエモーショナルに歌うラッパーのLil Durkも、ドリルのシーンから登場し後進のトラッパーに大きな影響を与えた。

DJ Dramaがリードしたフィラデルフィアのトラップ

 T.I.やYoung Jeezy、Gucci Maneらの成功は、ミックステープによってもたらされた。彼らのミックステープの多くで重要な役割を果たしたのが、DJ Dramaだ。DJ Dramaの出身は東海岸のフィリーだが、アトランタの大学に進学して南部ヒップホップに魅せられ、1998年頃から南部ヒップホップのミックスを発表していった。

 2000年代になると、NYのラッパーの50 CentがDJ Whoo Kidをホストに迎えたミックステープから人気を得て2003年に大ブレイクを果たしたことから、多くのラッパーが同じ手法を取った。南部ヒップホップのミックスで人気を博したDJ Dramaも、アトランタを中心とした南部のラッパーのミックステープで多くホストを務めるようになり、人気ミックステープシリーズ「Gangsta Grillz」が誕生した。

DJ Drama『Gangsta Grillz The Album』

 フィリー産トラップの先鋒となったのは、アグレッシブなラップで人気を集めたMeek Millだ。元祖トラッパーのT.I.に認められて2009年頃に彼のレーベルの<Grand Hustle>入りしたMeek Millは、DJ Dramaとも組んでミックステープを発表した。その後Rick Ross率いる<Maybach Music Group>に加入し、2011年にシングル「Tupac Back」などをリリースし人気ラッパーへと成長していった。その活躍は地元フィリーの後進にも影響を与え、後にDJ DramaとDon Cannonが送り出すスターを生み出した。

関連記事