羊文学が今の時代に求められる理由 楽曲に宿るメッセージや歌声を踏まえ考察

 羊文学はきみの孤独を否定しない。それは「祈り」で歌われた、〈夜の中で君が一人泣くことは/どんな訳があるとしても許されているから〉というラインが示した通り。すべてが不確かな時代の中で、羊文学はひとりで流す涙を肯定する。聴き手のパーソナルなスペースで鳴ることのできる繊細な音楽は、これからの数年、その重要さを増していくように思う。撫でるような柔らかいタッチで、楽曲全体の空間を作り上げるフクダヒロアのドラムや、ひっそりとメロディを引き立てドライブしていく河西ゆりかのベース。そして言葉よりも雄弁に情感を訴えるギターと、塩塚モエカの無色透明な歌声。そのどれもが心の隙間にそっと潜り込んでくる、さりげない優しさを持っているように思う。

「祈り」

 このバンドが登場からじわじわと支持を集めていったのは、10代特有のフラジャイルな感情を綴ったリリックと、感情の揺らぎを表すようなファズギターという音楽的な要素はもちろん、それを鳴らす3人の居住まいがいずれもアンニュイな表情を浮かべていたことが大きいのだろう。眼を覆うほどの前髪をたらして佇むフクダヒロアのビジュアルも、このバンドのカラーを印象づけていた。決して大袈裟な事を歌うわけではない、羊文学は日常の中で増えていく些細な傷に、そっと光を当てるようなバンドである。自然体で、どこか肩の力を抜いて音楽を楽しむ3人だからこそ、彼女らの歌には「頑張りすぎなくてもいい」というメッセージが宿ったのだ。メンタルヘルスの問題が世界的なトピックになるような時代の中で、それは素朴な癒しだったのではないだろうか。

 塩塚モエカの歌声は、日に日にその存在感を大きくしてきた。感情的になり過ぎない彼女の声だからこそ、多くのリスナーに分け隔てなく響くのだろう。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの新曲、「触れたい 確かめたい」に参加することが発表されたばかりだが、実際ここ数カ月ほどで目立っていたのが彼女の客演の数々だ。4月にリリースされたTOKYO HEALTH CLUBの「リピート」にクレジットされると、同じく4月にリリースされたRyu Matsuyamaの「愛して、愛され」にもフィーチャリングで参加。6月24日から配信された、君島大空と共にカバーした七尾旅人の「サーカスナイト」も記憶に新しい。彼女の声は、今多くの人の琴線を刺激しながら、シーンの垣根を超えて浸透しようとしている。

リピート feat. 塩塚モエカ
愛して、愛され feat. 塩塚モエカ(羊文学)
「サーカスナイト」

 「羊文学のギターは簡単なので、軽音部でコピーしてくれたら嬉しい」とは、昨年取材した時の塩塚の言葉である。楽曲におけるこうした明朗さも、聴き手を選ばなかった理由だろう。それはフクダが叩く、手数の少ないドラムも言わずもがな。タムをひとつにし、ライド、クラッシュ、ハイハットを1枚ずつ平らに並べるドラムセットも、音の粒を際立たせ、楽曲のよさをシンプルに聴かせるための配置だろう。ノイジーなものから澄み切ったライトなサウンドまで、キャリアを経る毎にバリエーションを増やしてきたが、どこか人懐っこい聴きやすさを残す工夫を3人は考えてきたはずだ。そしてもちろん、そのシンプルさの中にオリジナリティが宿るのである。彼女が言う「簡単なギター」とは、練習次第で誰にでも弾けるものかもしれないが、この3人が鳴らすことで他のどこにもない響きが生まれているように思う。

 さて、Suchmosが所属する<F.C.L.S.>からメジャーデビューすることが発表された。が、このバンドが大きな舞台に行くことに関して、驚きを持つ者はほとんどいないだろう。コロナ禍でバンドの活動が一時ストップしたとはいえ、2019年8月に行われた渋谷クラブクアトロ公演では、会場から溢れんばかりの超満員を生み出し、『ざわめき』がリリースされる前に行われた、今年1月のリキッド公演ももちろん完売。いわばここ最近の客演の多さも含め、リスナーにもミュージシャンにも求められる状況があった中でのニュースである。

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