大森靖子による寄稿文:「コロナ以降」のカルチャーに望む、価値観のアップデート

大森靖子による寄稿文:「コロナ以降」のカルチャーに望む、価値観のアップデート

 コロナ禍における音楽文化の現状、そしてこれからについて考えるリアルサウンドの特集企画『「コロナ以降」のカルチャー 音楽の将来のためにできること』。第4回はシンガーソングライターであり、アイドルグループ・ZOCのプレイングプロデューサーとして活躍する大森靖子。常に多くの人が抱える“孤独”というテーマと真正面から向き合い、寄り添い、さまざまなエンターテインメントを通して生きる希望を与え続けている一人だ。コロナ禍における相次ぐライブの中止やコミュニケーション手段の変化の中、大森靖子はTwitterで「おやすみ弾語り」動画を連日配信。“こんな時だからこそ、これまで積み重ねてきたことを今までどおりやる”ーー大森靖子は変わらず、これまでのように日常を過ごし、誰かの希望へと繋がる歌を歌っている。

 本企画について彼女に取材依頼をしたところ、以下のテキストを寄せてくれた。大森靖子がコロナ禍に直面して感じたこと、そしてこれからの音楽文化に望むこと。このテキストもまた、誰かの希望を繋ぐものとなることを切に願いたい。(5月15日寄稿/編集部)

文化にしかつくれない光を見据える強さが必ずある

 私は、5年前にメジャーデビューし、その2年前から7年間、年にアルバムを1枚、ツアーを1年2本、というベーシックとなるミュージシャン・大森靖子としてのルーティンで活動してきました。

 それに加えメディアやフェス出演、執筆やアイドルの審査員、楽曲提供やプロデュースなど、やれる! やりたい!と思ったものを、可能な限り肉付けしてゆく形です。仕事に慣れて丁寧でありながら器用に時短できるようになると、身体がそのぶん空くのでルーティンを増やす。その連続で、常にかなり充実したスケジュール感で過ごしてきました。

 マネージャーや夫、周囲の支えがあり、自分のADHD体質をうまい方向に転換し活動できているパターンだと思います。また、avexと契約する際に、思い立ったことをすぐやるタイム感を大事にしたいので、「許可に時間がかかるからすぐにはできない」ということが絶対にないように、ということを共有し、ストレスがなく、「今から新宿集合な」で30分後200人のファンの人とカラオケしたり、すぐ変わる気分次第の活動が出来ていました。たくさんの調整を、私の気質にあわせてやってくださっています。

 そのため、三密回避のためライブが出来なくなった段階から、「そしたらこのライブのあったはずのスケジュール勿体ないのでMVやYouTubeの撮影いれちゃいましょう!」とかを半ば強制的に色んな人に連絡を取り実行したので、結果的に緊急事態宣言前に自粛期間に楽しんでいただけるようなコンテンツの撮り溜めを出来たり、ライブが出来ない場合どのような歌の届け方があるだろうかとすぐに考え方を変換できました。個人的に現在、通常運行の活動と同等か、それより忙しい状況です。

 何かしないと死ぬので。

 その何かが何かを考える。

 私は与えられた仕事をやる人ではなく、この世界をどうするか、どうしたいか、どうなればあらゆる人にとっての平和か、現状でいいのか? を常に懐疑し、壊すために、自分の仕事を作っている感覚がいつもあって。

 なので働き時だなと思っています。

 この国にウイルスがこんにちはしたとき、政治家の方のカルチャーというものをいらないと思ってるんだなと感じさせられる発言の数々に、煽られたように働く意欲が湧いてしまったというのもあります。

 その価値観を呪うような感覚は特にありませんでした。

 高校生のときに、一生涯、芸術を介して自分や世界と向き合っていこうと決めた時から、何度も「戦争になって今食料もありませんという状況になったら、医者は必要、画家や音楽家はいらないって言われるだろうな」という感情とは向き合い続けてきたからです。

 やっぱりそう思うよね、でも!!!

 と、ずーっと思ってきたので。

 それは戦争ではなく、ういるすだったわけですが。

 何と立ち向かうにしても、不甲斐ない部分は、政治にも文化にも医療にも、どこにだってあるはずだ、だってそこにいるのは、人間なんだから。

 不甲斐なくない人間なんて機械だし、私はそんなのを求めているわけではない。でもできるだけ高度なものを! 高度なものを! となっている近代、何を失ってはならないかを見極められる人間は、きっと世間から見たらはみ出しものということになってしまうでしょう。

 社会性がないとされてしまう。

 でも、違う。

 私は私の仕事をしている、それだけのこと。

 自分にしかできないことというのを、それぞれがやればいいだけのこと。

 何がいらないとかじゃない、文化にしかつくれない光を見据える強さが必ずあるはずです。それを諦めてたまるか、と、ジェラシーのような気持ちになったのです。

 燃えていましたすごく。

 でもネットとか見た感じ、カルチャーがそのような流れになってはいかなかったですね。

 自宅で過ごすことにより、エンタメとカルチャーはやはり似て非なるもので、両方をうまくPOPにこなすアーティストが現れたとはいえ、それを両立させようとすることによる不安定さが垣間見えるなと感じました。

 歌を届けること、個と向き合うこと、様々な心のあり方を肯定することを第一目的とする芸術文化のあり方と、人を集めること、共感すること、繋がること、一緒に楽しむことを第一目的とするエンタメのあり方のふたつがあって、近代は文化の延長線にエンタメがあり、文化をエンタメ化することによって文化を強固に成長させてきた会社が音楽業界にはたくさんあります。とても素晴らしいことです。

 そして、打撃を受けたのはこのエンタメ業界でした。

 私は、

 だからって核である文化が共倒れしてたまるかって泣きながら怒っていました。

 家に居ようタイムに突入したとき、私が中高生だった頃に流行したバトン文化がなぜかゾンビのようにインターネットで蘇りました。

 次の人にまわします、という人間関係の魅せ方が、昔からとても苦手でした。人と人との繋がりは、愛のやりとりをもってしか美しく成り得ない。

 誰かが繋がるということは、誰かが省られるということ。それをわざわざ発信する意味が分かりません。

 「歌で繋がろう」という、エンタメ性の強い発信もありましたが、ばら撒きによりエンタメの価値も下げるし、心の孤立を掻き立てるし、苦手すぎるなあと涙目で睨んでいました。

 めっちゃ嫌なやつでした私、その期間!

 自宅での自粛期間中、ストレスに思ったことはそれくらいです。

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