ビリー・アイリッシュは、なぜカート・コバーンを彷彿とさせるのか 両者に共通する社会への視点

 ビリー・アイリッシュとカート・コバーンをつなげる一要素として、社会への視点も挙げられるかもしれない。じつは、カート・コバーンはかなりのフェミニストだった。たとえば生前、ラップへのリスペクトを明かしつつ「大半がミソジニー(女性嫌悪)なところは受け入れられない」と語っている(参照)。彼のこうした目線は当然ロックミュージックにも向けられており、AerosmithやLed Zeppelinのセクシズムを指摘するのみならず、ツアー同行を拒否したGuns N' Roses/とのビーフでアクセル・ローズのことを「クソ性差別、人種差別、同性愛差別主義者」と呼んだことすらある(参照)。ジャンルの未来に関しては、1993年、SPINマガジンに以下のように語っている。

「『In Utero』はロックを革命する。女性たちをインスパイアするだろう。彼女たちは、ギターを始め、バンドを組んでいく。それはロックンロールの唯一の未来だ」

「ロックンロールは使い果たされたけど、それはつねに男たちのものだった。ここ数年は沢山のガールグループがいる(中略)ようやく大衆がそういった女性を受け入れ始めたんだ」

 カートの言葉には先見性があった。25年経った今、男性優位な音楽産業への問題意識は盛んになっている。そんな時に若者とつながってみせたカリスマこそビリー・アイリッシュだ。前回の記事で紹介したように、彼女はそのファッションスタイルからジェンダーや抑圧の問題を表現に組み込むアーティストである。このたびドロップされた「all good girls go to hell」のMVにしても環境問題を描写している。カートもビリーも、人々や社会への繊細な目線があるからこそ、トップスターでありながらリスナーとの「密接な共振」を生む革命を起こせたのではないか。デイヴ・グロールは、先の声明をこう終わらせている。

「ビリー・アイリッシュのような存在を見るとこう思うんだ……ロックンロールは死んでなんていないってね」

■辰巳JUNK
ポップカルチャー・ウォッチャー。主にアメリカ周辺のセレブリティ、音楽、映画、ドラマなど。 雑誌『GINZA』、webメディア等で執筆。

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