BOYS END SWING GIRL、デビューまでの軌跡「僕たちは『フォーエバーヤング』に救われた」

BESGが語る、メジャーデビューまでの軌跡

「(曲作りは)小説などを書くのに近い」

ーーBOYS END SWING GIRLの楽曲からは、今挙げてくれたような邦楽だけでなく、Oasisあたりの洋楽の影響も強く感じます。

冨塚:おお、嬉しいです。

飯村:大学時代、一番コピーしたのがOasisなんですよ。ただ、今はUKよりもUSの方が好きですね。たとえばデイヴ・グロールやテイラー・ホーキンスのような、カラッとしてて男らしいドラミングにハマってます。

冨塚:結構、洋楽の中でも好きなものはメンバーで違っていて。

白澤:僕は、最初はThe BeatlesやThe Rolling Stonesが好きで、その後どんどん変わっていきました。今はゴスペルなんかも聴いています。

鍔本:僕はこの間、ジョン・メイヤーのライブに行きました。あとはチャック・ベリーとか、古いブルースを聴いてます。

冨塚:ほんと、鍔本の車に乗るといつも違う音楽が流れてるんですよ。いろんな音楽を見つける才能が、彼にはあるなと思っています。最初は僕が彼に音楽を色々進めていたんですが、気がつけば今は僕が教えてもらっているんですよね。

ーー順風満帆に活動をしていたのかと思いきや、実はデビュー前に一度、活動休止をしているんですよね。話によると、MVの監督にお金を持ち逃げされたとか……。

冨塚:そうなんですよ。しかも2回もそういう目にあっていて。1度目はお金の持ち逃げ、2度目は撮影当日に連絡がつかなくなってしまうという……(苦笑)。今は本当にお金が必要だったなら、仕方ないかなとも思ってますけどね。本当に仲が良かったし、今でもその人が作る映像が一番いいと思っているので。怒りとかは全くなくて、今はとにかく元気でやっていてほしいなと思うばかりです。

ーーそう思い至るのはすごいことだなと思います。

冨塚:もちろん、バンドとしてはキツかったですけどね(笑)。撮っていたMVは自分たちにとって勝負曲だったし、撮影も終わって告知もして、いざ公開というタイミングで消えてしまったので。ファンには「MV出します」と公表していたのに、結局発表できませんでした。

 そういう、あと一歩という時にくじかれる経験って、今までも結構あったんですよね。いいところまではいくのに、最後の詰めが甘いというか。コンテストに参加しても、優勝できずに2位止まりとか……。そんな時に僕の声が出なくなってしまい、活動休止することにしたんです。

鍔本隼

ーーそうだったんですね。

冨塚:メンバーとの話し合いの結果、活動再開を決めた時は、もう誰かの力を借りるのではなく、自分たちでやろうと思い、レーベル<NazcaRecords>を立ち上げて、そこから全国流通のミニアルバム『KEEP ON ROLLING』を出しました。それがきっかけとなり、今の事務所と出会うことが出来て、ようやく一区切りついた感じです。

ーーその頃みなさんは、ちょうど大学を卒業する年だったんですよね。進路のことなど不安はなかったのですか?

冨塚:ありました。周りが就職活動を始めて、進路がどんどん決まっていくのを見ていて、焦りましたね。とにかく辛い時期でした。それでもう「限界かな」と思いつつ、絞り出すようにして出来たのが「フォーエバーヤング」という曲だったんです。この曲に自分たちは救われたというか、この曲を作ったおかげでここまでやってこられたのかなと。

ーーその「フォーエバーヤング」には、〈君を泣かせた後で気付くんだ 愛されてた喜びに〉というフレーズがありますが、ここには辛い時期も支えてくれたファンへのメッセージが込められているようにも感じました。

冨塚:活動休止前、自分の声が出なくなって、ライブも中止せざるを得なくなってしまった時は、「歌の歌えない自分なんて無価値だ」と思っていました。でも、たとえ声が出たとしても、聞いてくれる人がいなかったら無価値だということに、気づいたんですよね。

 活動休止前はまだ、お客さんが観に来てくれることに対して、「俺たちはすごいんだから当然だ」という気持ちが少なからずどこかにあって。そこから活動休止して何も出来なくなり、「自分はどこにも存在していないんじゃないか?」という不安や孤独を感じていました。でも、復活した時に、僕らを待っててくれた人たちを見て、やっと気づいたんです。「ああ、自分は聞いてくれる人の中にいるんだな」と。その気持ちがきっと「フォーエバーヤング」には入っていると思います。

ーーなるほど。

冨塚:おっしゃっていただいたような「ファンへのメッセージ」については、自分一人で作った時には、そこまで考えていなかったのですが、バンドで合わせて、お客さんの前で演奏することによって、みんなの曲に育って行ったという感覚があります。先日、この曲の新しいMVを公開した時、みんなが自分のことのように喜んでくれていたのは、本当に嬉しかったです。

白澤直人

ーーその曲のタイトルを冠したメジャーデビュー作『FOREVER YOUNG』がリリースされますが、今回はストリングスを大々的に導入したり、ピアノとバイオリンだけの曲があったりと、バンドアンサンブルにとらわれないアレンジが施されていますよね。

冨塚:最初の頃は、それこそ“4人で奏でるロックバンド”というところにこだわっていたし、4人以外の音が入っていること自体「ありえない」と思っていたんです。でも「縛られることはやめよう」と思った途端、なんでも出来るということに気づいたんですよね。今回、いくつかの曲ではjamさんという、Superflyなども手がける作詞家の先生に手伝っていただいたり、アレンジャーの方に入っていただいたりしているんですが、自分たちの可能性を、ヘンテコなプライドで縛り付けてしまうのはもったいないと改めて感じました。

飯村:アルバムの中に「MORNING SUN」という曲が入っていて、これはインディーズ時代の4枚目のミニアルバム『NEW AGE』(2018年)のリード曲だったんです。バンド史上、最も攻めた曲の一つなんですが、去年「MORNING SUN」を発表した時の、お客さんの反応を見て、吹っ切れた部分はあると思います。「何をやっても、俺らは俺らだ」と自信を持てるようになったというか。

ーー普段はどんな風に曲を作っているのですか?

冨塚:まずは、曲のテーマを決めます。「誰に何を歌いたいのか?」というのを一番大事にしたくて。大枠を決めてから、ディテールを作り込んでいく。ゴールがどこにあるのかを決めてから、それに合うコードを探したりするので、もしかしたら、小説などを書くのに近いかもしれないですね。たとえばリード曲の「Goodbye My Love」には、〈映画の半券〉というフレーズが出てきます。映画の半券が、衣替えしたコートのポケットから出てきて、「ここにまだ君はいたのか」と思うのですが、これは実際に半券を発見したところから物語を膨らませました。そうやて出来たデモをスタジオでメンバーに聴かせて、アレンジを一緒に詰めていくという流れです。

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