『交響曲 宇宙戦艦ヤマト』インタビュー

指揮者 大友直人が明かす、羽田健太郎作『交響曲 宇宙戦艦ヤマト』の誕生秘話

 国民的人気アニメ『宇宙戦艦ヤマト』のテーマモチーフ(作曲:宮川泰)を用い、天才作編曲家・ピアニストの“ハネケン”こと羽田健太郎が35歳で完成させた唯一のシンフォニー『交響曲 宇宙戦艦ヤマト』の最新ライブ盤が発売された。

 『交響曲 宇宙戦艦ヤマト』は、1984年5月4日にNHK交響楽団×大友直人指揮にて初演され、LP/CDでリリース。今作が音源化されるのは、2009年のセッション録音盤を経て、2019年の羽田健太郎生誕70周年を記念して約10年ぶりのこと。

 羽田健太郎が35歳で作曲した唯一の交響曲を初演時から指揮し続け、スコアの隅々まで読み解いて知り尽くしているマエストロ・大友直人に、20世紀・名交響曲のひとつの誕生にまつわる物語を聞いた。(東端哲也)

「『宇宙戦艦ヤマト』はあり得ないような豪華なプロダクション」

大友直人

――穏健で温かみのある雰囲気の中にも、作品の本質を見出そうとする鋭い姿勢と威厳が滲み出ている……指揮者として大友さんの佇まいは、まさに“艦長”といったところですね。

大友直人(以下、大友):それはたいへん光栄です(笑)。

――でも、この『交響曲 宇宙戦艦ヤマト』を(今は無き)五反田簡易保険ホールにてNHK交響楽団(以下、N響)の演奏で初演された1984年当時は、まだ20代の半ばぐらいだったとか……。

大友:そうです、デビュー間もない、駆け出しの頃ですね。自分が『ヤマト』の音楽に関わったのは1983年公開の映画『宇宙戦艦ヤマト 完結編』(劇場用・第4作目)から。『完結編』は今、思い返してみても、あり得ないような豪華なプロダクションでした。あれは西﨑(※このアニメの生みの親である西﨑義展プロデューサー)さんが、もう全エネルギーを注ぎ込んで、最終作のつもりで完成させた総決算映画。その後、長いブランクを経て2009年に『復活篇』というのがありましたが、彼がまだ健康で栄華を極めていた時代の、最後の金字塔だったんじゃないかと思います。

――今でこそ、ベルリン・フィルやウィーン・フィルのようなクラシックの世界的な名門オーケストラも、ジョン・ウィリアムズ作曲の『スター・ウォーズ』の音楽を演奏会でとりあげていますが、あの時代、日本が誇るN響がアニメ(※当時はまだテレビまんが、まんが映画と呼んでいた)の音楽を演奏するのはすごく画期的なことだったのではないでしょうか?

大友:おっしゃる通り、まさに前代未聞でした。でもそれが可能になったのには理由があって、実は劇場版『ヤマト』サントラのレコーディングの現場には、かなり多くのコアなN響のプレイヤーが参加していたんです。弦楽器のセクションなどもほとんどがN響の人でしたよ。ですからすでにそのメンバーたちと西﨑さんの間には強い信頼関係というか絆があって、むしろ彼らが積極的に動いて、事務局などを説得して実現したことは間違いないと思います。とにかく、西﨑さんという人はプロダクションを牽引する、ある種“怪物”のようなものすごい圧倒的なパワーを持っていて、周りの人間がみんなその情熱に惹き込まれるというか、振り回されていましたから。

――『宇宙戦艦ヤマト』は、日本のアニメーション史に偉大な礎を築いた画期的なシリーズで、その後の“アニメブーム”の先駆けであったわけですが、大友さんが『ヤマト』の音楽に関わるようになったきっかけを教えて下さい。

大友:私は世代的に“アニメファン”ではなかったのですが、『ヤマト』の音楽、特にメインテーマは大人も子どもも、あの頃の日本人ならみんな知っていて、頻繁に耳にしていました。レコーディングに関わるようになったのは、前述のように当時のクラシックシーンをリードしているような演奏家たちの多くがこのプロダクションに参加していて、「フルオケ(フルオーケストラ)でやってるから、指揮をしてみないか」と声をかけてもらったのがきっかけだったと記憶しています。もちろん現場にはポピュラーミュージックのミュージシャンたちも沢山いました。私自身も学生時代からポップス系の仕事をクラシックと並行してやらせていただいていて、ピアニストとして活躍されていた羽田健太郎さんとも、そちらの方面のスタジオでお会いしたのが最初でした。

――『交響曲 宇宙戦艦ヤマト』プロジェクトの話を最初に耳にしたのは?

大友:恐らく、映画『完結編』が完成したあたりから西﨑さんの掛け声で動き出したと思います。西﨑さんはクラシックの愛好家でしたし、音楽に対してもの凄いこだわりのある方で、その熱意も半端じゃなかった。『ヤマト』の音楽をいわゆるBGM集というか、サントラアルバムとして残すだけでは不十分だと考えていて、何か別のアプローチを模索していた。その発想から、具体的にはフルオーケストラのための(4楽章形式を持つクラシックの)交響曲のような作品を作りたいという結論に至ったのではないでしょうか。

「羽田さんは基本的に凄く几帳面な方だった」

――『ヤマト』の音楽は1974年放送のテレビ第1シリーズ以来一貫して、ザ・ピーナッツなどのヒット曲で知られ、和製ポップスの開拓者のひとりである巨匠・作曲家の宮川泰さんが手掛けていて、羽田さんは劇場版第2弾『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年8月公開)のLPレコードから、ピアニストとして録音に加わり、映画『完結編』は宮川さんと共作で正式な音楽担当に起用されたと聞いております。『交響曲 宇宙戦艦ヤマト』は、この二人のコラボレーション作品ともいうべき、交響曲としては非常にユニークなものですね。

大友:確かにかなり特殊なバックグラウンドを持っていますが、この作品に関しては、やはり羽田健太郎さんの書いた交響曲と言って差し支えないものと思います。宮川さんと羽田さんは本当に仲がよかったですね。もちろん世代的には宮川さんの方が大先輩ですが、同業者としても音楽家としても、心からお互いを尊敬し合っているのがよくわかりました。私は宮川さんが「N響を使って演奏するようなシンフォニーを書くのはやはり自分には難しい。だから、音楽大学でクラシックの勉強をした羽田さんにお願いしたかった」とおっしゃっていたのを実際に何度も耳にしています。それと西﨑さんの意気込みもあって、羽田さんが大抜擢されたのだと思います。

――当時、羽田さんは他の仕事を全て断り、作曲に半年以上を費やして書き上げられたと聞いております。

大友:それはもう、大変なプレッシャーだったと思いますよ。羽田さんは基本的に凄く几帳面な方で「とにかく僕は、毎日コツコツ作曲やらないとだめなタイプなんだよ。だからカレンダーを作って日割りして、この日はここまでって計画たてて書いてるんだよね……」っておっしゃっていた。なので、この作品は宮川さんの書いたモチーフを使用しつつも、隅から隅までどの小節も羽田さんの努力の結晶だと言い切れます。

――クラシックの作曲家はモーツァルトにしてもベートーヴェンにしても殆どが大昔の人ですから、同時代で存命のコンポーザーと一緒に作品を世に送り出す経験って、指揮者としては特別のことですね。

大友:本当にそう。いちばんやりがいのある仕事です。しかもそれが初演以降も折りに触れて演奏され続けて、今回こうして新しい録音もリリースされるというのはこの上なく幸せなことです。

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