DEAN FUJIOKA×二宮健は“歴史の開拓者”となる? 「Echo」などのMVから感じた類い稀な感性

 また、ミュージカルテイストの「History Maker ~HITM Ver.~」MVに代表されるように、すべてのMVでストーリー展開が予想できないことにも言及したい。ここまで紹介した“ローラースケートのDEAN”や“ルームランナーのDEAN”などを思い返せば、DEANと二宮が脚本家としても、類い稀な感性を備えていると納得してしまうはずだ。

 DEANは、「Echo」MV制作時に「ミュージック・ビデオって正直何をやっても成立するわけですよね。一見、全く関係ないことをやっていたとしても、その外し方の妙で深いダブル・ミーニング、トリプル・ミーニングも生まれたりもするし」(引用:DEAN FUJIOKAと映画監督・二宮健が対談。2人の意外な共通点とMV“Echo”の制作秘話/Qetic)と述べている。その言葉を踏まえるに、各シーン間でわずかにストーリーを飛躍させていることには、視聴者に“想像の余白”を与える意図があるのかもしれない。そんな独創性と想像力を兼ね備えたミスクチャーなMVは、彼自身やその音楽と同様にミスクチャーな映像ジャンル=“DEAN FUJIOKA”と言わしめるものだ。

DEAN FUJIOKA - "Maybe Tomorrow" Music Video

 そんなDEANと二宮が新境地に辿り着いたのが、新曲「Maybe Tomorrow」MVである。同楽曲は、TVドラマ『僕の初恋をキミに捧ぐ』(テレビ朝日系)主題歌。映像内では、栗原類とアヤカ・ウィルソンが、互いを想い合う男女を演じている。DEANは同楽曲の制作を振り返り、「これは夢なのか、現実の未来なのか、もしくは死んでしまった後の世界なのかわからないような天国感を作りたい」(引用:DEAN FUJIOKAが語る、3年間の歩みと変化「自分の音楽の未来を作っていきたい」)とコメント。ドラマの物語に寄り添った歌詞はもちろん、映像内でも教会などから栗原らを見守るなど、一歩引いたポジションにいる。

 さて、同MVを視聴してみて、どこか不思議な感覚を覚えることはないだろうか。劇中では、栗原らの仲睦まじい様子を映し出す一方、時折に女性が悲しげな表情で青年の靴を運ぶ姿も確認できる。前述した感覚はおそらく、映像内の時間軸が入り組んでいることに由来するのだろう。実際に、青年の脱がされた靴が彼の死去を暗示しているのはもちろん、その生前と死後の時間が不規則に描写されている。これこそが作品に漂う“浮遊感”の正体であり、DEANの目指した“天国感”に繋がっているのかもしれない。何より、2人の男女が白骨化する衝撃のラストシーンを含め、王道な物語設定ながらも一筋縄では行かない展開には、DEANと二宮が“ネクストレベル”に突入したことを実感させられる。

 前掲のインタビューにて、MV制作の協力者を「固定概念に囚われない自由な精神で、一緒に冒険をしてくれるパートナーを探している感じ」と定義していたDEAN。彼にとって、二宮は最良のクリエイティブパートナーに他ならないだろう。そんな2人は、今もまた“新しい歴史の1ページ”を作る準備をしているに違いない。

(文=青木皓太)

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