さくらももこ、作詞家としての功績 兵庫慎司が“メッセージ性を放棄した歌詞の妙”を紐解く

 さくらももこの数ある偉業のうち、大ヒット曲「おどるポンポコリン」の作詞をしたことは、もっとちゃんと評価されるべきかもしれない。

『ちびまる子ちゃん』(1巻)

 と、彼女の訃報を知り、あたりまえにファンとして悲しみ、マンガやエッセイやCDなどの、彼女の作品に触れ直していて、改めてそう考えた。1990年、『ちびまる子ちゃん』が最初にテレビアニメ化された時のエンディング曲として作られ、B.B.クィーンズが歌い、ミリオンセラーを記録し、同年の第32回日本レコード大賞“ポップス・ロック部門賞”などさまざまな賞を総ナメにしたこの曲を……たとえば、えーと、なんて説明すればいいか難しいな、ほら、10年にいっぺんくらい、こんな感じの“子供向けおもしろソング”的な曲が大ヒットすることってあるじゃないですか、日本では。たとえば「山口さんちのツトム君」とか、「およげ!たいやきくん」とか、「だんご3兄弟」とか、「おしりかじり虫」とか。たとえばそれらの曲と「おどるポンポコリン」の歌詞を、冷静に比べてみていただきたい。気がつくはずだ、「意味が全然ない」という点において、他の曲たちとはあきらかに異質であることに。

 ナンセンス、不条理、不気味、無常で無情、残虐などの感覚を、自身の作品に持ち込むのを得意中の得意とするのが、さくらももこという作家であったことは、亡くなったからって改めて主張する必要もないほど、周知の事実である。そっちのカラーが強く出た作品、たとえば『神のちから』や『永沢君』などの方が、『ちびまる子ちゃん』よりも好きだというファンも多い。が、言うまでもなく『神のちから』や『永沢君』は『ちびまる子ちゃん』ほどはヒットしなかったし、『ちびまる子ちゃん』のような国民的なマンガにはならなかった。その両者の要素を持った『コジコジ』が、さらにわかりやすいケースかもしれない。「ファンタジー感のあるこの作品ならアニメ化まで行けた」という点と、「でもやっぱり『ちびまる子』ほどはヒットしなかった」という点において。

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