さくらももこ、作詞家としての功績 兵庫慎司が“メッセージ性を放棄した歌詞の妙”を紐解く
ところが。その「さくらももこのマンガ」のセオリーが、「さくらももこが作詞した歌」においては逆になった、とは言えないだろうか。カヒミ・カリィや大滝詠一、ウルフルズや桑田佳祐などなど、数々の人気アーティストとコラボレーションした曲も、さくらももこは手がけている。で、そういう時はコラボ相手にぴったり来るようなプロの仕事をする作詞家、それがさくらももこでもある。あるがしかし、それらの、プロの仕事な歌詞を一流ミュージシャンが歌った曲よりも、「おどるポンポコリン」や「走れ正直者」の方がはるかにヒットした。「アニメのスタート時だった」「そのアニメの成功が追い風になった」というプラスアルファが当時あったにしてもだ。
つまり、本当に意味がなく、何を言いたいのかさっぱりわからず、というか、言いたいことなどあってもなくてもどうでもいいと言わんばかりに、思いつきや語呂合わせで脳内イメージの赴くまま書かれたような「おどるポンポコリン」が大ヒットし、発売から30年近く経つ現在でも歌い継がれる存在になったこと。それは、日本の流行歌の歴史においても快挙だったし、さくらももこというクリエイターの作品史においても快挙だったのではないか、と思うのである。
お茶の間のテレビで〈ハー そんなこたあ どうでもいいじゃねえか〉と歌う植木等を観て「こんな歌を作る人になりたい」と青島幸男に憧れ、その夢を捨てずに十数年後に作った歌が「おどるポンポコリン」だった。『ちびまる子ちゃん』に登場する父・ヒロシたち家族がそれをテレビで観ながら「何考えてんだ、あいつ……」とつぶやくーーというのは、『ちびまる子ちゃん』の読者なら誰でも憶えているであろうシーンだが、そのさらに数年後、さくらももこが訳詞を手がけて植木等が歌った「針切じいさんのロケン・ロール」が、僕は、彼女の残した曲の中でも特に好きだ。
まる子があの時憧れ、目標にしたご本家と一緒にやれてよかったよかった、という感慨もあった。だが、それ以上に、青島幸男が書いたクレージーキャッツの名曲たちの「いろいろ言葉を重ねるけど結局なんにも言ってねえ」感と、「なんにも解決してくれないのに結論は無根拠に能天気で楽天的」感を、さらに過激に加速させたみたいな仕上がりになっているのが、この曲だった。これが『ちびまる子ちゃん』のエンディングでかかり始めた当時、聴いて「うわあ、やられた」と強く思ったのを憶えている。特に〈なんだね かんだね 結局 どれだね(どんぶり ラーメン 決め手は 麺だね)〉というところ、パンチラインだと今でも思う。「歌詞で何かを伝える」ということを清々しいまでに放棄していて。というか、「ここまで放棄していてもポップソングとして成立する」という実証になっていて。
以上、さくらももこの逝去後、その作品のすばらしさを称えるテキストをあちこちで読んだが、彼女の作詞家としてのこの側面に言及したものにはまだ出会ってないなあ(マンガはあるけど)、と気になったので、書いてみました。
ご冥福をお祈りすると共に、今後も愛読・愛聴させていただきます。
■兵庫慎司
1968年生まれ。音楽などのライター。「リアルサウンド」「SPICE」「DI:GA online」「ROCKIN’ON JAPAN」「週刊SPA!」「CREA」「KAMINOGE」などに寄稿中。フラワーカンパニーズとの共著『消えぞこない メンバーチェンジなし! 活動休止なし! ヒット曲なし! のバンドが結成26年で日本武道館ワンマンにたどりつく話』(リットーミュージック)が発売中。