『FRONT CHAPTER - THE FINAL SESSION - LAY YOUR HANDS ON ME SPECIAL LIVE』インタビュー

中野雅之が振り返る、BOOM BOOM SATELLITESが歩んだ軌跡とラストライブの裏側

 BOOM BOOM SATELLITESが3月14日、『FRONT CHAPTER - THE FINAL SESSION - LAY YOUR HANDS ON ME SPECIAL LIVE』をリリースする。

 2017年6月18日に新木場STUDIO COASTで行ったラストライブをもって、20年続いたバンド活動に幕を降ろしたBOOM BOOM SATELLITES。同作には、そのラストライブの模様が収められている。

 リアルサウンドでは、BOOM BOOM SATELLITESの中野雅之にインタビュー。ラストライブを開催した背景や制作過程、そして2016年10月に他界した川島道行とのバンド活動に対する想いと今後のビジョンについて語ってもらった。(編集部)

「あの曲が僕と川島くんからのメッセージそのもの」

BOOM BOOM SATELLITES(左から中野雅之、川島道行)

ーー今日のインタビューは映像作品『FRONT CHAPTER - THE FINAL SESSION - LAY YOUR HANDS ON ME SPECIAL LIVE』を観終えた直後ということもあって、実際に当日会場でライブを観ていたとはいえ、ちょっと気持ちの整理がなかなかつかないところもありまして……。そもそもあの日、ああいう形でライブに踏み切った動機から聞かせてもらえますか?

中野雅之(以下、中野):ファンに向けて、最後だということをちゃんと伝える形でライブをできていなかったんですね。川島(道行)くんがいる状態でライブをやります、おそらくこれが最後になるかもしれませんと、一応アナウンスをしてやろうとはしていたんですけど、それがキャンセルになった状態のままだったので、そのまま作品だけリリースしてファンとの関係性が終わってしまうのは望ましくないな、と。何らかの形でファンに観てもらう最後の機会を作れたらと思い、企画しました。

ーー実際、最後の作品となった『LAY YOUR HANDS ON ME』(2016年6月発売)を制作している最中は、ライブというのは頭の中にあったんですか?

中野:僕としては、ライブはもうできないなというのがわかった中で最後の楽曲制作を行っていたので。もちろん川島くんは作品を作りたいし、ライブもやりたいと僕には言っていたんですけど、僕は川島くんの様子を見て、それはどう頑張っても不可能だろうと……。川島くんにはそういう風には伝えなかったですけど、無理だからこそ覚悟を決めて、最後の作品を時間内に作りきるんだっていう強い気持ちでその時期はやっていたので、ライブは諦めていました

ーーそれまでの制作ではある程度ライブも想定して楽曲を作っていたと思いますが、となると『LAY YOUR HANDS ON ME』の楽曲はそれ以前とはまた異なった制作過程だったわけですよね。でも、その楽曲を新木場STUDIO COASTでのライブで披露することになる。ライブではそれまでの楽曲との違いは感じませんでしたか?

中野:「LAY YOUR HANDS ON ME」という曲が大音量でああいう場所で鳴らされたのは、後にも先にもあの日一回だけ。今まで制作してライブで演奏されなかった曲というのも山のようにあるわけですけど、あの曲はファンとの架け橋になる最後の曲なわけで、そこに残したメッセージというのは大きなものがあったと思います。ぜひフィジカルに感じ取ってほしいという思いが強かったんです。

 ライブをやることが決まった段階であの曲を1曲目にやることはほぼ決まっていて、それが僕と川島くんからのメッセージそのものだった。もちろんそこに川島くんはいないわけですけど、バンドとしての強い意思があったので、ひとりで演奏している気持ちではなかったというか。もちろん、もともとライブでやることはまったく想定していなかったわけですけど、結果的に最後の作品の収録曲は全部あの日やることになりましたし、それが目の前にいるファンたちへの最後のプレゼントになったと思います。

「僕とあの場に居合わせたファンがほぼ同じ目線」

ーーこれはライブ当日にも感じたことであると同時に、今日映像を観た際にも気づいたことですが、「LAY YOUR HANDS ON ME」で川島さんの歌に入る前に、ライブでは音源とは異なりブレイクが入りますよね。そこで川島さんのブレスが入る瞬間があって、ライブらしさだとかライブならではの躍動感を強く感じたんです。本当に目の前で行われているライブを今観ているという感覚がありました。

中野:あれは、その場に居合わせるオーディエンス、ファンとの呼吸合わせや、ある種の脳内再生を共同作業で行うタイミングだと思っていて。実際のボーカリストがいないまま音声が再生されていって、それでみんなが一緒に歌ってるという場所だったわけですけど、あのライブに限っては僕とあの場に居合わせたファンがほぼ同じ目線というか……もちろん僕が中心になって提供している場所や時間なのですが、モチベーションとしては同じものがあって、あの空間を作り上げたんじゃないかなと思っています。なので、そういうちょっとした間合いだったり気配みたいなものは、音の面からもバンドのアレンジメントから演出まで含めて丁寧に作り上げていきました。

ーーそのボーカルテイクも、スタジオ音源だけではなくてライブ音源からも引っ張ってきたそうですが、セレクトはどういう基準だったんですか?

中野:たまたまというのも言い方にあまりロマンがないかもしれないですけど、スタジオ録音しか残っていない楽曲もありますし、ライブでしかありえない空気感みたいなものが入り込んでいる、過去のライブ作品から抜き出してきた音声ファイルも混在しているわけですが、どちらも僕たちの顔と言えます。スタジオ作品で残してきた声も、川島くんのライフワークが象徴されていますし、ライブの生々しくて荒々しい息づかいみたいなものも彼は大事にしてきた。それらが混在していくことでバンドを形作ってきたものがより掴みやすくなるんじゃないかなと思い、準備を進めていました。

ーーああいう形でボーカリストがいない、音声に合わせて演奏していくというスタイルは技術的にも難しさがあったのかなと思いますが。

中野:そうですね。ライブというのは僕ひとりの意思や考えだけじゃなくて、ライブを企画するスタッフと、今回の場合は技術的な部分でたくさんの人たちが手を動かして作られたものなので、話が持ち上がったときにはどう成功させるか悩みました。やっぱりネガティブな要素を潰していくところから始めなくてはいけない企画ですし、ボーカリストがいないというライブの魅力として決定的に欠けているところからスタートしなければならなかった。それをどのように克服して……いや、克服するのが目的ではなくて、いないからこそより存在感が深く感じ取れる、そういう高みに持っていきたいなと思って、リハーサルと同時に演出の打ち合わせをほぼ1年にわたって繰り返し、たくさんの人に声をかけて参加していただいたという経緯があります。

関連記事