音楽家・Sundayカミデはどのようにして作られた? 兵庫慎司がそのパーソナリティに迫る

音楽家・Sundayカミデはどう作られた?

音楽家としての絶対的存在に出会う

 その時に、ベッドで動けなくて、記憶も混乱してる中、テレビだけ点いてて。BSのチャンネルで、マリーナ・ショウっていうジャズシンガーのドキュメント番組をやっていて。それをずっと観てて、すごい涙が出て。それで本当に、音楽がしたいと思ったんですよ。

 死にかけてるからこそ、そう思えたんです。それまでは「音楽だけが人生じゃないし」とか思いながらやってたんですけど。それが22歳から23歳です。

 それで、ブラックミュージック好きやし、昔レゲエのパーティーで遊んでたのもあって、クラブで何かやりたいと思って。ジャズとか、ヒップホップとか、ファンクとか……マリーナ・ショウを観て、やっぱりそういうのがかっこいいと思って。

 高校の後輩でそれをやれる人たちを集めて、ボーカルを探してきて、A.S.P.っていうブラジリアンジャズのバンドを組んで。一大シーンを作りたかったんで、A.S.P.だけじゃなくて、もっといろんな人たちとやろうというので……A.S.P.のメンバーがレゲエも好きやったんで、違うボーカルを探してきて、レゲエのバンドもを作って、BAGDAD CAFÉ THE trench townっていう名前を決めて。ちゃんとしたベースが入るまで俺がベース弾いて、曲も一緒に作って。

 その時に韻シストと出会って。その3つのバンドで、大阪のクラブで始めたイベントが、今もやってる『LOVE SOFA』です。偶然にもいいバンドが3つ揃ってやってたら、すぐお客さんもいっぱいになって。

 そっから本格的に、クラブシーンの中に存在する人にならないといけない、みたいなことを考え出して。クラブシーンって超絶縦社会じゃないですか。イベントをつぶされることもあれば、筋が一個間違うとひどい目に遭ったりもするし。そこで自分がこのシーンのボスになる、なめられたらダメだ、っていうので、かなり背伸びして、つっぱって、最初はやってましたね。

 それでSundayカミデっていう名前を付けたんです。明るい名前だけど、なんか怖いじゃないですか、「どうも、Sundayカミデです」って。これならなめられないかな、と思って。

 かなりつっぱってて……関西の『カジカジ』って雑誌のインタビューで、「ほかのクラブイベントなんか全然おもしろくない、だから俺らはこういうことをやってる」っていう発言が、見出しにされてしまっていたりするぐらい。

 クラブにおける、いろんなボスがいてるじゃないですか? そういうふうに自分もならなければいけない、っていうので、20代前半はそっちに行ってましたね。自分でひとつのシーンを作るのが、ゴールというか。

 レコード会社の人とか、FMの人とかが、音楽業界の肩書を言ってゲストで入る、みたいなのがあるじゃないですか。最初は、それは全部禁止にしたんです。自分たちと友達しかいない空間を作ろう、遊びに来る人と音楽をやる人しかいない空間を作ろうと思って。

 『LOVE SOFA』が噂になってくると、いろんな人たちが来るようになったんですけど、5年間ぐらいはそのまま禁止にしてましたね。すごい後悔してます(笑)。のちのちFM大阪でレギュラー番組でラジオのMCのお仕事をもらった時に、ディレクターに「昔おまえのイベントに遊びに行って、『FM大阪の××です』って言うたら『すいません、そういう人絶対入れないんです』って言われて帰らされた」って。

 5年経って解除したのも、「ヤバい! おもしろいのにこれ以上広がらない!」と思って。ラジオで自分たちの曲をかけてほしくないとか、僕が好きな雑誌じゃなかったら取材も断ったりしてて。ほんとにミニマムな、誰も知らない世界を作りすぎていて。それでも広がると思ってたんですけど、広がらなかったんですよ。

 それで全解除したけど、しばらくは苦労しました。だから大後悔したんですけど、その頃のライブは、今でも再現できないくらいの熱があったんで。それは、そういうふうにしないとできなかった部分もあると思います。その頃の熱を追って今も続けてる、みたいなところはありますね。

奇妙礼太郎が教えてくれたこと

 今の僕が、ひとつ重きを置いてるのが……大阪っていう街自体が、ミュージシャンがそこに住んで活動していて、プロになれるわけじゃないので。

 そういう中で、奇妙(礼太郎)くんがある日、一緒に住んでた僕たちの「ロックトキワ荘」から巣立って、東京に行った時に……僕はただ見送ってて、「大阪は任しといてよ、バイバイ」みたいな感じだったんですけど。

 やっぱり奇妙さんが、東京でいろんなことがありつつ活躍していく姿を見ていて……みんなすっごい影響されるんですよ。あの奇妙礼太郎がCMに出て歌ってたり、TVでカバー曲を歌ってTwitterでディスられてたり(笑)。そうやって東京でがんばってる姿を見せつけてくれる人がいてる、そこにすごく夢があって。

 奇妙くんが当時言ったのが、しばらくは、大阪に帰っても大阪の人たちとは会わないと。自分が成功するまでは、いちばん居心地のいいところには帰らないって決めてると。奇妙くん、これまでみんなで遊んできたけど、今ここでがんばったら、思いっきり成功できたり、やりたかったことができたりする時期に来てる、っていうのを肌で感じて、それを僕らに教えた感じだったんですよ。

 僕も……今年40になりますけど、まだ夢とか希望とかめっちゃあるやん!って奇妙くんを見てて思って。奇妙くんと僕、奇妙くんがいて、僕がもっとがんばれば、ある種の新しい道というか、スタイルって、作れるんじゃないかな、というか。

 40歳ぐらいでもあり得ることはあり得るし、あり得ないことは若くてもあり得ない、みたいな。っていうのが、今の僕の音楽との付き合い方っていうか。

 だから今僕が、ゆるめるモ!ちゃんとかあいみょんちゃんたちと一緒にお仕事できるっていうのも、すごく意味があって。全力でやってますね。

(取材・文=兵庫慎司)

■ライブ情報
Sundayカミデ 初野外ソロワンマン
『ピアノKISS!!! 〜君が誰かの平和 to the ダラダラ天王寺ストーリーTHIS IS 君は僕の最高の夜のベイビーParty in the フューチャーになりくさっても!!!〜』
2017年9月24日(日) 東京上野恩賜公園野外ステージ(上野水上音楽堂)
opne/start 15:15/16:00
前売り/当日 3,500/4,000(税込・ドリンク代別途要)

<出演者>
Sundayカミデ
Guest:やついいちろう(エレキコミック)/塙宣之(ナイツ)

イープラス
チケットぴあ 0570-02-9999
ローソンチケット 0570-084-008
お問合せ ADN STATE 050-3532-5600(平日 12:00-17:00)

■関連リンク
SundayKamide
WONDERFULBOYS
天才バンド

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