KREVA『嘘と煩悩』座談会

DARTHREIDER × STUTSが語り合う、KREVAのスキルと功績「ヒップホップを広げる役割を担ってきた」

KREVA

 2月1日にリリースしたアルバム『嘘と煩悩』を携え、現在『KREVA CONCERT TOUR 2017「TOTAL 908」』を行っているKREVA。残す公演は、兵庫・神戸国際会館こくさいホール、東京・TOKYO DOME CITY HALLとなり、まさにツアー終盤を迎えている。先日リアルサウンドで、「KREVAはラップ・アーティストとして何を成し遂げてきたか? 『嘘と煩悩』から分析」というコラムを掲載したが、今回はその後編としてアーティストによる座談会を企画。ラッパー/HIPHOP MCなどで活躍するDARTHREIDER、1989年生まれのトラックメーカー/MPC Player、STUTSを迎え、KREVAの日本のヒップホップシーンにおける功績について語り合ってもらった。まずは、最近盛り上がりをみせているフリースタイルの先駆者としてのKREVAからKICK THE CAN CREW〜ソロ活動におけるKREVAの楽曲のメロディセンス、そして最新アルバム『嘘と煩悩』、ライブについて訊いた。聞き手は二木 信氏。(編集部)

フリースタイルの先駆者としてのKREVA

ーー最初のKREVA体験から教えてもらえますか?

STUTS:小6か中1ぐらいのときに初めて聴いたヒップホップがKICK THE CAN CREWとRIP SLYME でした。半年間、その2つのグループしか聴かないぐらいハマりました。僕ら世代では、僕のようにヒップホップにどっぷりハマらなくても、KICK THE CAN CREWの『VITALIZER』(2002年)の収録曲を歌えたり、口ずさめたりする人も多いと思います。

DARTHREIDER:僕が最初に組んだMICADELICというグループの初期メンバーの酔花(スイカ)がBY PHAR THE DOPEST(KREVAがKICK THE CAN CREW結成以前にCUEZEROと組んで活動していたヒップホップ・ユニット)のCUEZEROくんの専門学校の後輩だった。それでBY PHAR THE DOPESTの「切り札のカード」(1997年)というシングルがリリースされる前にその曲の存在を教えてもらったりしていた。そういう縁もあってBY PHAR THE DOPESTのライブも観に行ってましたね。渋谷のFAMILYというクラブで『FG NIGHT』というパーティ(KICK THE CAN CREW、RHYMESTER、EAST END、RIP SLYME、MELLOW YELLOWなどから成るFUNKY GRAMMAR UNITが主催するパーティ)があって、たくさんのラッパーが集まってフリースタイルをしていたんです。その時の評価基準がKREVAさんのフリースタイルだった。「いまのはKREVAより上手かった」とか「さっきのはKREVAには及ばない」とか、そういう基準がすでにあった。『B BOY PARK』のMCバトルが始まる前ですね。K.I.Nさん(MELLOW YELLOW)が日本で最初にフリースタイルを始めたラッパーとも言われていますが、一方でフリースタイラーとしてのKREVAさんの実力は渋谷界隈のクラブでは認知されていましたね。

DARTHREIDER

ーー当時のKREVAさんのフリースタイラーとしての個性や特異点は何でしたか?

DARTHREIDER: 90年代のミックステープなどにも収録されてクラブで認知されていたKREVAさんのフリースタイルの凄さは、畳み掛けるような早口で滑らかにフロウすることでした。だから、意味を伝えるよりラップの技術そのものを見せつけていた。これは僕の見立てですが、『B BOY PARK』のMCバトルに出場するようになって、いまでは“クレバ・スタイル”と呼ばれるスタイルを取り入れるようになるんです。公式のMCバトルの大会を経験するのはラッパーも審査員も運営側も初めてのことだからいまよりもジャッジの基準が曖昧で、勝敗の判定も難しかった。そこでKREVAさんは早口で畳み掛けるのではなくて、まず「ラップを即興でやってますよ」ということをわかりやすく伝えるスタイルを選んだ。つまり、言葉が聴き取りやすいようにゆったりとしたフロウでキックやスネアにあわせて韻を踏んでいった。「即興でラップしている」とその場にいる誰もが理解できるようにラップしたんです。

STUTS:僕は『B BOY PARK』は完全に後追いで、ラップの知識もそこまでない時に映像で観たんですけど、たしかに即興でラップしているとすぐに理解できましたね。

DARTHREIDER:当時は、事前に用意した持ちネタを使ってMCバトルに参加するラッパーも少なくなかったんです。だから、その場にいる人たちのフリースタイルやラップのリテラシーを考えて、KREVAさんはそういうスタイルを選び取ったと思います。その時点で他のラッパーの先を行っていた。そうやって「日本語のラップで即興ができる」と示したKREVAさんが『B BOY PARK』のMCバトルで3連覇します(1999年~2001年)。そういう“クレバ・スタイル”がまずあった上で、後続のラッパーはフリースタイルへのアプローチを各々試みていく。そして、“クレバ・スタイル”のカウンターとして漢 a.k.a. GAMIや般若のスタイルが出てくる。だから、いま『高校生RAP選手権』や『フリースタイルダンジョン』に参加している若いラッパーやそれを楽しんでいる若いリスナーがいま当たり前に共有しているフリースタイルの原点にはKREVAさんがいる。だから、もし「KREVAはヒップホップじゃない」とか言っている若者がいるとしたら、それは言語道断ですから!

ーーいきなり頑固オヤジ発言きましたね(笑)。

DARTHREIDER:僕も40歳でリアル頑固オヤジなんで!

 

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