1stフルアルバム『青年の主張』インタビュー
Shout it Out、10代終える決心から芽生えた思い「死んでもいいと思える曲を書けるまで死ねない」
邦楽バンドシーンの中核をなすバンドを多数輩出した『閃光ライオット』の後継イベント『未確認フェスティバル2015』の初代グランプリを獲得し、「10代の代弁者」と形容される、同世代の悩みや鬱憤をストレートな4ピース・サウンドで表現してきたShout it Out。昨年7月、シングル『青春のすべて』でメジャーデビューするも、2カ月後にギターとベースが脱退。サポートメンバーを迎えて、ついに1stフルアルバム『青年の主張』を3月8日にリリースする。今回は全作詞、作曲を手がける山内彰馬(Vo/ Gt)と細川千弘(Dr)に、そもそもShout it Outとはどんなバンドなのか? ハタチを迎えての心境の変化も含めて話を聞いた。まっすぐすぎる言葉や音が年齢を越えて響く理由や、新しい・古いという二項対立では片付けられないこのバンドのオリジナリティの背景を知る一助になれば幸いだ。(石角友香)
一緒に音を鳴らしてくれる仲間がいる状況が心強い(山内)
――そもそも山内さんはバンドがやりたかったんですか?
山内:僕は幼稚園の頃から音楽をする人になりたくて、その頃憧れていたのが、公園で弾き語りしてたお兄ちゃんだったんですよ。それから本当にシンガーソングライターになろうと思っていました。だけど、小学校高学年、中学ぐらいからバンドを聴き始めるようになって。そういうちょっと悪そうなイメージのものに憧れる時期じゃないですか(笑)。 そこから高校に入ったらバンドを組もうと思って、わざわざ軽音楽部がある高校を探して入りました。
――すごく腑に落ちます。Shout it Outって基本的には山内さんのシンガーソングライター気質が全開なバンドだと思うのですが、細川さんはどう思います?
細川:僕もバンドの核になるのはやっぱり彰馬だと思っています。二人になったから余計にそうなんですけど、彰馬が曲を作って、歌詞を作って、それにどう音を乗せていくか? 彰馬の言葉をどうやってお客さんにストレートに届けようか? というところから全部始まっているので。
山内:僕は未だにスターになりたいんじゃなくて、自分がやりたいことさえできれば、他はあまり気にならないんです。もちろん、バンドとして大きくなりたいという思いはあるんですけど、それよりも今、自分が書きたいことだったり表現したいものを突き詰めていく作業に音楽の楽しさを感じているので。だから、どちらかというとシンガーソングライター気質だと思いますね。
――山内さんは高校時代のバンドでは、同じ堺市出身のKANA-BOONのコピーをしていたんですよね。
山内:そうですね。KANA-BOONは、僕らがバンドを始めた時にいた身近なスターでした。ただ、僕はKANA-BOONでも特に、ボーカルの(谷口)鮪さんに憧れていたんです。僕、最初はマイク1本だったんですけど、メンバーに「おまえもギターを始めろ」と言われて手に取ったんです。シンガーソングライターを目指してたのに、小学校5年生の時にアコースティックギターを買ってもらって2カ月で挫折して(笑)、もともとギターを持つ気はなかったんですけど、KANA-BOONのステージを見て、ボーカルにこだわらずにギターを持ちながら歌うのもいいかもしれないと思ったんですよね。
――シンガーソングライターを目指してたのに、ギターに挫折するのが早すぎますよ(笑)。
山内:いざやってみたら難しくて……投げ出しました。ずっと音楽はやりたかったけどやり方がわからなかったというか、一人でやるのが僕にはあんまり向いていなくて。バンドだからこそこうやって好きな音楽ができるようになったんだなって、改めて思いましたね。
――それは単に楽器ができる云々じゃなくて?
山内:もっと精神論ですね。僕が試しに曲を書いてみたら、一緒に音を鳴らしてくれる仲間がいる状況がすごく心強くて。メンバーという存在があったからこそ、曲を書くことに踏み出せたんだと思います。
――細川さんは山内さんに出会った頃、どう思いましたか?
細川:僕は名古屋出身で、山内は大阪出身なんですけど、僕の兄のバンドが名古屋で活動していて、そのバンドとShout it Outが仲が良くて。その繋がりで同世代にShout it Outがいるのは知ってたんです。名古屋で僕がサポートをやってたバンドと一回、Shout it Outが共演したんですけど、その対バンの前日ぐらいに、『未確認フェスティバル』で彼らが優勝して。嫉妬心というか「いいなぁ」と思ったし、すごく才能もあるなとずっと感じていたし。彰馬の書く歌とか曲に惹かれるものがあったので、こういうやつと一緒にバンドができたらいいなと考えていました。で、そんな時Shout it Outのドラマーが抜けるって話が兄から伝わってきて、できればメンバーとしてやりたいと思って、すぐ連絡をとって大阪に行きました。今から考えたら、あのエネルギーはどこから来てたんだろう? と思いますね。スタジオ入るのに夜行バスで大阪に行ってたので。でもあの時、踏み出してよかったなと思える出来事ですね。
――ところで二人とも去年、成人したんでしたっけ?
細川:そうです。1月に成人式でした。
山内:10代の頃は大人になることにすごく抵抗があって。学生時代って、関わる大人の人って学校の先生と親ぐらいじゃないですか。僕は学校の先生とあんまり上手くいかないタイプだったんで(苦笑)、本当に大人という存在が嫌いやったというか、大人になりたくなかったんです。けど、歳は重ねていくし、ハタチって目に見える大人と子供を隔てるラインじゃないですか。そこを越えてしまうことにすごい恐怖感があって。そんな10代の最後に作ったのが「青春のすべて」という曲なんです。それで少し大人になる心の準備が整ったというか、受け入れられたという感覚があった。でもいざ自分がハタチを迎えてみると、社会的には大人に急に引っ張り上げられたのに、自分はあまり変われない、あんなになりたくなかったものに、逆に「なれなかった」感覚になりまして。だからすごく今、ふわふわした時期だなと思って、そのふわふわ感を上手く表現できるワードは? と考えた時に、子供と大人の間を定義する「青年」から、「青年の主張」というタイトルをアルバムにつけたんです。
――本作を聴いて、いい意味で身も蓋もないほど一つのことをやってる印象を持ちました。山内さんの中には「アルバムってこういうものだ」という縛りがあんまりないのかな? と思うんですが。
山内:それはまさにそうで。1stフルアルバムだし、これだけのボリュームのものを作ったことがなかったので、そこに対するプレッシャーはちゃんと持っとかなきゃいけないなと思った上で作ろうとしたら、1曲も書けなくなったんです。でも締め切りはあるから書かなきゃいけないという、すごく焦った状況に陥った時、一切の考えを捨ててみたというか。今までは、あんまり意識はしてなくても潜在的に、例えば言葉やサウンドに対する大衆性を意識してる部分はあったような気はして。でも今回は完全にそういうものを取っ払えた気がしてるんですよ。「今こう思ってるから書きました」という曲が何曲も集まったものだと思うので、別に僕としてはこのアルバムをまとめようという気もなくて(笑)、逆にそういう考えというか、いつもしてたようなことをしなくなった結果、ほんとに自分の底の部分と向き合えた。だからすごいパーソナルな部分を曲に含ませることができたと思ってるんですけど。
――1曲も書けなくなったのは、フルアルバム制作が初めての経験だったという理由だけですか?
山内:僕は音楽を始めるまで、自分の内面を人に伝える術を持ち合わせていなくて。音楽を始めてやっと自己発信のツールを手に入れた感覚なので、それまで大人に対してだったり、自分の非力さに対するフラストレーションを溜め続けてきて、前作まではそのフラストレーションだけで曲が書けていたというか。なので、インプットをせずともアウトプットができてたんですね。
――フラストレーションというガソリンが尽きた、と。
山内:それで音楽以外のものも取り入れようとして動いてたんですけど、それがアウトプットに直結してなかった感覚がありまして。そこで無理にでもひねり出そうと、自分の中身と向き合った時に、やっと今まで溜め続けたインプットの引き出しの開け方がわかった。だから僕としては新しい部分を見せることができたというよりも、やっと僕の深い部分を表現できるようになったという感じなんですよね。
――なるほど。
山内:だからそういう意味では、ハタチになって、今まで意識してた10代というものがなくなって、一旦落ち着いたタイミングでこういうボリュームのある作品を出せるっていうのはいい巡り合わせだったと思いますね。