星野源、尾崎世界観、amazarashi……音楽と文学の“重なり”表現するミュージシャンたち

 先日、ボブ・ディランがミュージシャンとして初めてノーベル文学賞を受賞した。「偉大な米国の歌の伝統に新たな詩的表現を作り出した」ためだという。(参考:朝日新聞デジタル 授与理由「伝統に新たな詩的表現」 ボブ・ディラン氏)ここでは、次なるノーベル文学賞受賞者になるかもしれない、音楽だけでなく、文学の世界でも活躍する若きアーティストたちを紹介していきたい。

 まずは、現在放送中のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)で、主演を務めている星野源。自身が歌う主題歌「恋」のMVや、同ドラマのエンディングで披露する「恋ダンス」も話題であり、彼が歌って踊れて演技もできるポップスターなのは間違いない。それだけにとどまらず、『蘇える変態』『そして生活はつづく』といったエッセイ集を発売し、文筆家としてのセンスも発揮している。<僕たちはいつか終わるから 踊るいま>という彼の代表曲「SUN」の歌詞はポップかつキュートだが、明るいだけではなく、影があるようにも見える。同様に、彼の書く文章も読みやすいが、どこか心に引っかかる…例えば、星野の著書『働く男』に収録のエッセイ「ひざの上の映画館」は、<「つながる」ということに、日々興味を失いつつあります。>という一節から始まる。彼の文章を読み終えた後は、胸のどこかに刺さって抜けない棘があるような、そんな気分になる。

 続いて紹介するのは、ロックバンド・クリープハイプの尾崎世界観(Vo./Gt.)。尾崎が書いた歌詞を見てみると、「鬼」では<あぁもう疲れ切って玄関開けたら 束の間の休息 津田沼の六畳間で>と目の前にその情景が広がるような歌詞から始まったり、「社会の窓」では<だってあたしのこの気持ちは絶対シングルカット出来ないし>とリスナーの心をざくざくと突き刺すような歌詞を入れ込んだり、と、文学への才能が見え隠れするようなものを作り続けてきている。そんな彼が書いた半自伝的小説『祐介』は、まるで目の前で演劇が繰り広げられているかのように、読者の五感を刺激する。アルコールの臭い、血の味、煙草混じりの唾の味、殴られた時の痛み、食パンに爪を食い込ませた感触……。きちんとしたストーリー展開があるわけではないが、男の行く末が気になり、ページをめくる手が止まらなくなる。読者の多くはいつしか、男の姿に尾崎を重ねているはずだ。

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