長渕剛、ファンとの信頼関係を確かめた夜 決意の「乾杯」歌ったスペシャル公演レポート

長渕剛が見せた、“ファンとの信頼”

 2016年9月8日、Zepp Tokyoーー。ビシっとキメ込んだスーツに帽子とサングラス。体はひと回りもふた回りも大きくなったが、歳を重ねようとあの頃の“アニキ”と何も変わっちゃいない。そこから発せられるエネルギーはあの頃よりも強靭になっている。「あと10年、」昔、そんな言葉をよく口にしていたのを覚えている。当時、その“10年”が短いのか長いのかはわからなかった。ただ、先のことを考えることができないくらい、ギリギリだったのだろう。

 あれから、10年どころか、20年、30年が経つ。

「60歳になったぜ! 世の中じゃ、還暦、還暦というけど、オレには関係ねぇ!!」

 2016年9月7日、長渕剛が60歳を迎えた。

 昨年8月、『10万人オールナイト・ライヴ in 富士山麓』という前人未踏の山で10万人とともに奇跡を起こしたアーティストは、この先どこへ向かおうとしているのか? そのひとつの答えを見た気がした。8月12日鹿児島県・宝山ホールより始まったファンクラブ限定の特別な全国ツアー。『THANK YOU ACOUSTIC TOUR 2016』である。

 今年初頭、Blu-ray&DVD『富士山麓 ALL NIGHT LIVE 2015』リリース時のインタビュー(長渕剛が語り尽くす富士山麓ライブ、そして表現者としての今後「世の中に勇気としあわせの爆弾を落としていく」)で長渕は「今年はゆっくりしようかと思っている」「今後のことをきちんと考える」と語っていた。そして、「ファンとの信頼」のことも。それが明確に現れたツアーになった。

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 ステージに置かれたグランドピアノに今宵のパートナーである中西康晴が座る。80〜90年代に長渕サウンドをともに創り出してきたキーボーディストだ。尖っていた30代の長渕を支え続けた盟友が奏でるジャジーなピアノの旋律が、軽快なブギーへと変わると、サスペンションライトに照らされた長渕が軽快にステップを踏みながら歌いだす。いつもより小さいスタンディングの会場と相俟って、大衆酒場に狂い咲いたバレルハウスのような雰囲気で「BAY BRIDGE」が始まった。これまで幾度もアコースティック形態のライブを行ってきたが、今までとは少し趣向が違う。ブルージーでジャジーで、アダルトな雰囲気で気の合う仲間と音楽を愉しむ、そんなライブだ。

 長渕と中西が一緒のステージに立つのは20年以上ぶりになるだろうか。しかし、2人は阿吽の呼吸を魅せていく。流麗なピアノの旋律に合わせて長渕が語り出した。「1年前の今頃、よくぞみんな富士にきてくれた、ありがとう!」感謝の意と天候への不安、1年前の気持ちを思い出すように口にすると「生意気なパートナー」が歌われた。これまでほとんど歌われたことがなかった、20代の頃に作られた男の弱さを歌ったラブソング。「好きで好きでたまらないヤツが、はるか何百キロも遠くで待っていてくれたとしたら、オレはどんな思いをしてもそいつに会いにいく」そう語った後に60を迎えた男が歌うこのラブソングは別の意味にも聴こえてくる。

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 神秘性を帯びた「かりそめの夜の海」「海」など、これまた久しぶりとなる美しいメロディの歌が続く。両曲ともに発表されて20年ほど経つ楽曲だが、決して古くはない。かといって「色褪せない」と言ってしまうのは違う気がする。長渕の歌はいつもそうだ。時代によってさまざまに形を変えながら、聴く者の心に襲いかかってくるからだ。長くファンであればあるほど、歌に対する思い入れも思い出も多くあると思うが、ふとしたときに、歌の持つ違う表情に気づくときもある。

 筆者自身、子どもの頃から長渕剛の歌を聴いてきた人間だが、あの頃は表面の言葉だけをなぞっていただけだった。歳を重ねるごとにそこに込められた意味がわかるようになった。他人事のように思っていた出来事が、自分の身に降りかかってきたとき、初めて気づくこともあった。長渕の歌に励まされたこともあれば、心をえぐられたこともある。疑問も投げかけてくる。ときに「それは違うだろ?」と思うことだってある。長渕剛というアーティストは完璧なわけではない。それが実に人間らしいところであり、大きな魅力なのだ。

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 「交差点」で一緒に歌っていたファンの合唱が、歌の入りを先走り、長渕に「せっかちだなぁ(笑)」と諭される場面があった。別れの歌であり、哀しみの曲。本来はじっくり聴き入る歌だ。これを書いた20代の頃はほとんど歌われていない。それが、30代になってから歌われるようになり、いつしかみんなで歌えるような曲になった。哀しみが思い出に変わった。歌が深化したのだ。そして、30代の頃、病気の母への想いを綴った「MOTHER」。この日歌われた「MOTHER」は今の長渕ならではのものであり、「歌は生きているんだ」と改めて感じた瞬間でもあった。

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