結成20年のオリジネイター、山嵐が考えるミクスチャーロックの現在「実は日本の中にあふれてる」

山嵐が考える“ミクスチャーロックの現在地”

 日本におけるミクスチャーロックの草分け的バンド、山嵐がニューアルバム『RED ROCK』を7月にリリースした。今年で結成20周年を迎えた彼らが5年ぶりに放つ本作には、流行り廃りの激しい日本のロックシーンの中で戦い続けてきた彼らだからこその説得力あるリリックと、首尾一貫したヘヴィ&グルーヴィーなサウンドが満載。古くからのファンはもちろんのこと、彼らに少しでも触れたことがある人も「これぞ山嵐ならではのミクスチャーロック」と圧倒させる1枚だ。

 リアルサウンド初登場となる今回のインタビューでは、KOJIMA(Vo.)とSATOSHI(Vo.)のオリジナルメンバーに加え、昨年バンドに加入したKAI_SHiNE(Machine./元THC!!)の3人が登場。バンド結成から現在までの流れ、新作で提示された変わらぬスタイル、そしてメンバーが生まれ育った湘南という街が持つオリジナリティとミクスチャーとの関係について語ってもらった。(西廣智一)

「音楽が良くても嫌いな奴とはやりたくない」(KOJIMA)

──山嵐の結成に際して、最初はどういうことをやりたいと考えていましたか?

KOJIMA:最初はKORNみたいなラウドロックにラップを乗せるスタイルでバンドをやりたいと思って、僕がデモテープを作っていました。山嵐の他のメンバーも同じようにデモテープを作っていて、お互い聴かせ合っているうちに意気投合して、じゃあ一緒にやろうかっていうのが最初です。

──バンドが結成された1996年というと、海外では今名前が挙がったKORNをはじめとする、現在のラウドロックシーンのオリジネーター的なバンドがブレイクし始めた時期でした。日本ではそういうタイプのバンドがまだオーバーグラウンドに出てきていないタイミングだったと記憶していますが、皆さんの周りには山嵐と同じような志を持ったバンドが他にもいたんでしょうか?

KOJIMA:何組かはいましたね。

SATOSHI:日本語に特化していたバンドもいたよね。それこそOGAちゃん(YUYA OGAWA/Gt.)がいた麻波25も同期っちゃあ同期だし。

──この20年、長かったですか? それともあっという間でしたか?

KOJIMA:あっという間という感覚のほうが強いですよ。

SATOSHI:うん。自分らで「もう20年」と思うよりも、周りから「もう20年なんですね」と言われて実感することのほうが多いですし。

──では山嵐をここまで続けられた原動力はなんだったんでしょうか?

KOJIMA:メンバーの性格のバランスがちょうどいいんじゃないんですかね。だって音楽が良くても、嫌いな奴とはやりたくないじゃないですか(笑)。

──バンドメンバーというよりは、純粋に仲間という意識のほうが強かった?

KOJIMA:どちらかというと、あんまりそういうことを意識してこなかったというほうが正解かもしれません。「仲間だよな」とかいうのも堅苦しいし。KAIのことも17、8の頃から知っていたし、OGAちゃんも麻波25をやる前から知っていたし、結局は全員昔からの知り合いなんですよね。

KAI_SHiNE:僕とOGAくん以外は、ただの同級生の集まりですからね(笑)。

──この20年間、音楽シーンもいろいろな変化を繰り返してきました。その中でバンドを辞めようと考えたことは?

KOJIMA:休もうかという話は多々ありましたけど、辞めようというのはないですね。

──そのモチベーションはどうやって保ってきたんですか?

KOJIMA:その都度、誰かしら熱い奴が曲を作ってきてバンドを引っ張ったり、話し合ったりしているから、ですかね。今までいろんな音楽性にチャレンジしてきて、その中には周りから求められていない音楽性というのも多少なりともあったと思うんです。そういうところとちゃんと向き合って、絞っていくことが次につながってたのかな。

「僕らの地元・湘南ってすごくミクスチャーな街」(KAI_SHiNE)

──KAIさんはバンド加入前、山嵐のことを外側からどう見ていましたか?

KAI_SHiNE:地元の怖い先輩です。

SATOSHI:食い気味に言ったよね、今(笑)。

KAI_SHiNE:まぁ、そのほうがいいかなぁと(笑)。でも本当に、地元の怖い先輩たちが、気づいたらMTVで曲が流れてたとか、気づいたら『ミュージックステーション』に出てたとか、本当にそんな感じで。だから山嵐っていうバンドの音楽性やキャラクターについては後から意識したんですよね。いわゆるミクスチャーみたいなものを地でいってるバンドっていそうでいなかったし、山嵐以外にそれを体現しているバンドは今も日本では少ないと思うんです。

──なるほど。では逆にKOJIMAさん、SATOSHIさんはバンド加入前のKAIさんのことをどういうふうに見てましたか?

SATOSHI:地元の怖い後輩ですね(笑)。

KAI_SHiNE:(笑)。

SATOSHI:地元のワルっすよね。ワルの中にいたデカい人みたいな(笑)。ひさびさにライブハウスでKAIに会ったら、「俺、この後にやるんすよ」って言われて、それがTHC!!で。

KAI_SHiNE:お互いに何をやっているのか、あんまりわからないまんま藤沢駅でばったり会ったり。

──地元のつながりで、遊びの延長みたいなところがあったんでしょうか。

SATOSHI:うん、KAIは特にそれに近いっすね。

KAI_SHiNE:もともと僕らの地元・湘南って雑多な街なんですよ。音楽も職種ジャンルレスだし。それに不良の種類もいろいろあるじゃないですか。そういうことも含めて、すごくミクスチャーな街なんですよ。レゲエもパンクもヒップホップも4つ打ちも、それをやってる人たちがみんなどこかで飲んだことがある同士だったり。その中で生まれた関係なんですよね。

──その地元の後輩であるKAIさんが、バンド結成19年という昨年に正式メンバーとして加入したのも面白いと思うんですよ。

KAI_SHiNE:同級生と19年続けてきて、そこに後輩入れるかっていう。

SATOSHI:いやいや、ほぼタメじゃんか(笑)。35、6を超えると年齢に関しては雑になってきますから。

──そもそもなぜメンバーとして迎えようということになったんですか?

KAI_SHiNE:それ、僕も聞いてないですね(笑)。

SATOSHI:単純にサウンド的な可能性の広がりを考えてだよね。これは僕が他のメンバーを客観的に見て感じたことなんですけど、KAIが入った瞬間にみんなすごく楽しそうだったんです。特に石井(芳明/Dr.)ちゃんとか。ずっと同じメンバーでやり続けているとマンネリとまでは行かなくても、新しいエッセンスが欲しくなることがあって。KAIが今やってる「Machine」ってやつがバンドにすごくハマって、ちょうど曲作りに楽しさに直結したんでしょうね。

KAI_SHiNE:本当にいろんなことが重なり合って、こういう形でやったら面白そうってところにたどり着いたんですよね。でも、正式なオファーも正式な加入発表もなくてですね(笑)。制作に入るタイミングに、たまたまそこにいたというフワッとした感じだったんです。

──そこが他のバンドと比べると、とてもユニークかなと。

KAI_SHiNE:うん、「ユニーク」というのはとてもいい表現ですね(笑)。

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