兵庫慎司の『Deka Vs Deka〜デカ対デカ〜』作品レビュー
マキシマム ザ ホルモン『デカ対デカ』は、“ホルモンと遊ぶ”ための作品である
※この記事には一部「Deka Vs Deka〜デカ対デカ〜」のネタバレ要素が含まれております。これからご覧になる方はご注意下さい。
まず、リリース前に、音楽メディア関係者を対象にした視聴会で、マキシマムザ亮君のガイド付きで、スタートアップディスクのゲームを体験した(マキシマム ザ ホルモン映像作品集『Deka Vs Deka~デカ対デカ~』は、そのゲームでパスワードを取得し、他のディスクを見るという仕様になっています)。
で、後日、作品が発売になってから、改めてひとりでゲームにトライした。「トライした」って、「一回亮君のガイド付きで途中までやったんだろおまえ」という話だが、幸か不幸か、それらの細部を発売後まで憶えていられるような記憶力は僕にはないこともあり、「あの日自分が観た画面へはどこをどうしたら辿り着けるんだろう?」と探しながらのスタートとなる。
ゲームを始めて数分経った段階で、パスワードをゲットするまでにすさまじい時間と手間がかかるであろうことを悟り、途方もない気持ちになる。基本、亮君の世代ならではの、初期型ファミコンへのオマージュに満ちたビジュアルと内容になっているのだが、「そういう人にとっては簡単なのかもしれないけど、俺ゲームうといし!」と、文句を言いたくなる。「俺、伊集院光のファンだけど、ゲームに関しては共有できないことが長年の悩みなのに!」と、まったく関係ない憤りまで湧いてくる。
しかし。今さら引くに引けないので延々とゲームを続けているうちに、いつの間にかゲラゲラ笑いながら熱中している……というか、自分が熱中しているという自覚もないまま、のめりこんでいる。で、いつの間にか、メインディスクやブルーレイディスクのことを忘れている。果ては、ある問題をクリアして「次に進む」「もう1回このゲームで遊ぶ」という選択肢が出た時に、「さっきあの正解を選ばなかったらどんな展開になったんだろう?」と気になって、「もう1回このゲームで遊ぶ」をセレクトする始末。
つまり「クリアしてパスワードを得ること」が目的ではなく、「このゲームの中に入っている要素を隅から隅までを観て知って体験する」ためにゲームを続ける、そういう状態になっている。
結果、気がついたら最後まで行っていた。「最後まで行くぞ!」という意識はとっくに消えており、「あれ?……あ、これ、最後なんだ?」という感覚だった。
という体験をして、わかったこと。
このゲームをクリアすることによって観ることのできる、メインディスクやブルーレイディスク収録の大量の映像は、どれも超おもしろいし、超かっこいいし、超すてきだし、超しょうもないし、超笑えるし、いちいち「こんなことまでやるか?」「こんなレベルまで作りこむか?」だし、超細部に至るまで亮君の「こういうのがいい」ではなく「こうでなきゃダメ」という美意識(と言っていいと思う)に貫かれた、採算も労力も度外視した、本当にものすごいものだ。しかし、今作において本当に画期的なのは、やはり、このゲームの方だったんだなあ、と改めて思う。