ボーカル・ISHIYA、DEATH SIDE NY公演セルフレポート

ハードコアパンクバンド・DEATH SIDE、熱狂のNY公演をボーカルISHIYAがセルフレポート

 ライブ終了後に飯を食いに行き、その後THE ACHERONへ少し顔を出してから滞在先に帰ったのだが、ORIと弁慶の2人は朝方近くまで飲んでいたらしい。筆者は早めに就寝したため、ライブ2日目は午前中に目が覚めた。

RAMONESミュージアムの機材などの一部。こちらの博物館は日本とは違い写真撮影が可能。

 するとAndyから連絡が来ておりRAMONESミュージアムがやっているので行かないかとのこと。ちょうど到着した4月15日がジョーイ・ラモーンの命日だったため、行くことにした。ステージのセッティングや数々のTシャツやポスター、就労ビザの写真では見たことの無いジョーイ・ラモーンのサングラスのない顔の写真などがあり、ニューヨークでのRAMONSの愛され方がよくわかる展示だった。

 その後、滞在先に戻り、Andyはショーン・レノンとのスタジオがあるとのことでライブに来られないため、再会を誓い別れた。タイトなスケジュールのため時間がない中、Andyは本当に色々なニューヨークを見せてくれた。心からニューヨークを愛する本当のニューヨーカーと友人になれたことは、筆者の人生の宝である。こういった友人を持てたことを心から幸せに思う。

 2日目のライブは、盟友・鉄アレイと共演だ。これぞ日本のハードコアだというものを、海外で表現できる滅多に無い機会だ。DEATH SIDEは前日にライブをやっているため、メンバーも皆、初日よりもリラックスしている感じがする。会場に到着すると鉄アレイがサウンドチェックの最中だ。今日はDEATH SIDEはサウンドチェックがないので、メンバーと共に近所の散策に出かけた。

ソーホー地区路上。その場で絵を描きながら売っている。

 会場近くがソーホーという地区で、様々なアーティストが路上で絵を売っていたり、その場で描いたりしている。ギャラリーなども多く、非常にアーティスティックな街で、日本にはない雰囲気を感じられた。しかし、やはりパンクスがこのあたりにくることが珍しいのか、髪の毛を立てている筆者は好奇の目で見られるような場面もあった。とはいえ、少ない時間ながらもマンハッタンを散策できて、束の間の観光気分にも浸れた。

 鉄アレイとDEATH SIDEではじめた「BURNING SPIRITS」というGIGは、現在筆者のバンド・FORWARDが中心となって続けている。海外では「BURNING SPIRITS HARD CORE」と言われ、一種のジャンルのように捉えられている節もある。その創始者バンドが揃ってやってくるということもあってか、昨日よりも観客の出足が早く、入口付近にはすでに行列ができており、セキュリティも早々と観客整理に追われている。

 開場すると、昨日よりも早めに観客が集まり始め、2番目のバンドあたりですでに客席は人で溢れかえっている。前日チケットを変えなかった観客も多いため、また違う友人とも再会し、気分も盛り上がってくる。

 そして、いよいよ鉄アレイの演奏が始まる。始まる前にはかなりの緊張感が見られた鉄アレイのメンバーだったが、素晴らしいライブをやってくれた。鉄アレイはバンド名が日本語のため、海外ではあまり認識されていないとの話も聞いていたが、彼等にとってそんなことは全く関係ない。事実、鉄アレイを知らない観客も、ステージが始まるとどんどんのめり込んで行く様子が手に取るようにわかる。筆者としては「見たか! これが日本のハードコアだ!」という感情でいっぱいになった。

 鉄アレイは、かなり素晴らしいバンドなのだ。筆者とは30年来になる付き合いであり、20年以上日本のハードコアシーンの中心バンドとして活動している。何度も鉄アレイを観て涙した筆者だが、このニューヨークでのライブを観て、またもや感激のあまり涙腺が緩んだ。日本のハードコアを、BURNING SPIRITSを、ニューヨークの中心に焼き付ける日がやってくるなど、想像できなかったことである。今までバンドを続けてきて、今までライブをやってきて、本当によかったと心から感じた瞬間だった。

2日目のステージ。フロント4人。

 そしてDEATH SIDEの出番がやってきた。前日の緊張感とはまた違い、リラックスしていたこともあると思うが、前回とは異なるライブの感じとなった。観客の盛り上がりは負けず劣らずもの凄く、セットリストの違いもあり、前日来てくれた観客も楽しんでくれたようだ。ライブ中にMCで、アメリカのビールである「IPAをくれ!」と言ったところ、ステージ上はIPAだらけになり、観客からはIPAコールが起こるなど非常に楽しいライブとなった。

客席の中で歌う筆者。

 アンコールの最後の曲では、CHELSEAと一緒にやっていたときの思いが爆発し、併設されたバーや客席の隅々まで行き歌った。マイクのコードが届かないので、一人ひとりに生声で歌い伝えた。スピーカーから声が聞こえてこない上に、ステージ上にヴォーカルの姿が無い。これはライブパフフォーマンスとしては、賛否両論があると思う。しかしこれは、筆者がCHELSEAとやっていた頃から現在にいたるまで日本でやってきたスタイルだ。パンクとは一体なにかを問いたい。観客にも、読者にも、自分自身へも。

DEATH SIDE at Le Poisson Rouge, April 17, 2016 Bleeker Street NYC

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