AL『心の中の色紙』インタビュー

AL、メンバー全員インタビュー!「ALの音楽を鳴らすためには、この4人がベストだと思った」

「自分がやりたいことと、できること、その二つを考えた時、そこにはALしかなかった」(小山田)

小山田壮平(Vo、Gt)

――長澤くんと小山田くんで一緒に曲を書くようになったのは?

小山田:二人で飲んだ最初の日。その時にできたのが、今回のアルバムのタイトルにもなっている「心の中の色紙」で。だから、andymoriとしてファーストEPを出してすぐにはもう一緒に作った曲があった。知之は、ちょうどその頃、『EXISTAR』(2009年)を作ってて。

――初ライブは2011年5月の渋谷B.Y.Gでした。

長澤:どういう気持ちでライブをやろうってことになったのか、実はあんまり覚えてないんですよね。単純に曲を作っているうちに、ライブもやってみたいねって話になったんだと思う。でも、お互い別でやってる自分の音楽があったから、ALに関しては仕事にはしたくないっていう思いはあった。遊びの延長みたいなノリだったと思う。

――その2人での初ライブから数えて5年。こうして4人でALを名乗って、初めての作品をリリースするわけですけど。まず、長澤くんはソロとしてのキャリアをこれまで歩んできたわけじゃないですか。ALというバンドの自分の中での位置付けは、今、どういうものなんだろう?

長澤:自分にとってALというのは完全に趣味で、壮平と一緒に音楽をやってることがただ楽しくて、それだけで幸せだったんだけど。それが変化するきっかけとなったのが、andymoriが解散することを発表した直後の2013年の夏に壮平が川にダイブして、入院したじゃないですか。その時に、手紙をもらったんですよ。

小山田:「ALをやりたい」ってことを手紙に書いて。病室で。

長澤:一緒にやったら楽しいことになるに違いないっていうのは、もうわかっていたから。妄想としては自分でもいろいろ考えてたんだけど、その手紙をもらって、本気でやってみようかって気持ちになって。

小山田:俺の中では、andymoriを解散するって決意した時点で、ALのことを本気で考えるようになったんですよ。その前から知之に「ALをやりたい」ってことは何回も伝えていたんだけど、その時に改めて「本気でやりたい」って思って、それを手紙に書いて。入院してると何もすることがないから、どうしても自分と向き合うことになるじゃないですか。そこで出た結論が、自分の中ではALだった。

――その時にはもうandymoriが解散することは決まっていたわけだけど、ソロでやろうっていう気持ちはなかったの?

小山田:ソロでやるってことはまったく考えてなかった。andymoriを解散するって決めた後は、もうALのことしか頭になかった。

――小山田くんがそこまで思ったのは、ALで音楽をやることが自分の音楽家人生にとって絶対に必要なことだと思ったから? それとも、単純に一番楽しく音楽ができると思ったから?

小山田:自分にとって、人生を賭けて何かやるってことと、それが楽しめるかっていうことは、完全に同じとは言わないけど、ほとんど一緒のことなんですよ。自分が生きていて、これからこの世界に何を残せるかって考えた時に、自分にとって最大限のことができる場所がALだと思った。自分がやりたいことと、できること、その二つを考えた時、そこにはALしかなかった。

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