『AAAぴあ』発売記念企画
AAA、西島隆弘・浦田直也・末吉秀太・伊藤千晃が語る“これまでの10年とこれからの10年”
末吉秀太「多くのことに真剣に取り組んで、愛情を注ぐのが大事」
――あらためて、末吉さんが音楽に興味を持ち、実際にパフォーマンスをするようになったきっかけから教えてください。
末吉:中学生時代、友人と家の近くの公園でスケートボードをやっていたとき、同じ場所にブレイクダンスのチームがいて、そのパフォーマンスに目を奪われたことがきっかけですね。頭でクルクル回ったりしていて、“すげえ!”“これがダンスなのか!”って衝撃が走ったんです。そこから見よう見まねで、家中の布団を集めて自分でドタバタやったりしました(笑)。
――それが初期衝動だったんですね。
末吉:趣味のつもりで始めたんですけど、それがドンドン本気になっていって。地元の佐世保(長崎県)には米軍基地があるので、公園で踊っていたらアメリカの方も“俺にもやらせてくれ!”と入ってきたり、その流れで3on3をしたりと、ダンスを通じて多くの人とコミュニケーションができたのも、のめり込むきっかけになったと思います。まあ、当時は今みたいにダンスが学校の必修科目でもなかったので、人にはなかなか言いづらかったですけどね。
――アクティブな性格は、幼少期からだったんですか?
末吉:保育園に通っていたころからです(笑)。お遊戯会で、他の子がきれいに側転をして拍手をもらっていたら、自分は2回やってみたりとか。負けず嫌いだったんですよね。でも、どこかに羞恥心もあって、学校の授業や体育祭で演劇やミュージカルをするのが、嫌だったし恥ずかしかった。そうやって自分から動くことはなかったけど、ダンスを始めたことで、人前に立つことへの抵抗が一切なくなったかもしれません。ダンスって言葉が要らないから、身体ひとつで“輪”ができるし友達にもなれる。それも大きな魅力ですよね。
――本格的にダンスを始めて、目標にしている人物はいましたか?
末吉:マイケル・ジャクソンですね。MTVのアワードでパフォーマンスした「ビリー・ジーン」の映像を観て、すごく衝撃を受けました。AAAに入ってからは、ブレイクダンスというよりも立ち踊りが多いし、歌も意識するようになるわけなので、そういう意味で彼のパフォーマンスをひとつの目標にして、DVDをたくさん観ていました。
――AAAにつながるオーディションは、どんな経緯で受けたのでしょう?
末吉:知人から『avexがオーディションを開催するらしい』と聞いて、何となく受けたというのが本音です。特に芸能界を目指していたわけではなかったんですけど、自分の実力を試してみたかったし、落ちたら落ちたで、反省する材料になると思ったので。それでいざ受けてみたら、書類審査とビデオ審査に合格して、実技審査で東京に行くことになって。松浦(勝人)社長たちが見ているなかでパフォーマンスしました。それが終わったら合宿に参加することになって、という感じでしたね。
――ちなみに、合宿の内容はどのようなものでしたか?
末吉:春夏冬の3期で、ぞれぞれ2週間弱にわたって続くんですけど、とにかくレッスンの繰り返し。毎日4~5kmのランニングもあって、演技も歌も含めて、基礎的な力を磨いていくんです。そこで能力がチェックされて、ある程度、高い評価を受けた人から東京に呼ばれる、という選考システムだったんですよね。
――末吉さんも、もちろん東京に呼ばれて。それまでダンス一本だったところから、演技や歌にも取り組むことに抵抗はなかったのでしょうか。
末吉:ダンスを追究するなかで、ほとんどなくなりましたね。ブレイク一本じゃなくて、ロックや立ち踊りなど、幅広く色んなものにトライするなかで、物事をジャンル化して区別するのが嫌いになって。自分のオリジナルを確立したいし、そうするためには、演技や歌も含め、多くのことに真剣に取り組んで、愛情を注ぐのが大事だと思ったんですよ。正直言うと、最初は歌は好きじゃなかったけれど、やっていくうちにドンドン本気になっていきました。歌やダンスに限らず、何事もそうだと思うんですけど、上達するにはまずは好きになって愛情を注ぐことが大事なんだなって。
――合宿やレッスンの間、他のメンバーはどう映っていました?
末吉:やっぱりライバルですよね。その頃は“誰がいつ落とされてもおかしくない”というシビアな感じで、緊張感があったんですよ。僕自身も“ここまで来たら勝ち残るんだ”という気持ちだったから、休憩時間に自分の得意なダンスを踊って、周りを牽制したり(笑)。いま考えると子どもでしたね。実際に若かったし、年長の浦田がすごくお兄さんに見えました。
――AAAの結成を言い渡されたときの心境はどうでしたか?
末吉:勝手に男性2~3人のグループになると思っていたので、予想が外れて驚きました。でも、とにかくデビューしたいという気持ちが強かったので、考える間もなく“やります!”と即答でしたね。当初は、人数が多くて、しかも男女混合なことに不安もあって、スタッフさんに“絶対やっていてよかったと思う日が来るから”と言われても、聞く耳を持たなかった。でも、今は“ああ、本当にそうだったんだなあ”と実感することが多いです(笑)。
――キャリアのなかで、最初は抵抗があっても、やってよかったと思うことは多かったでしょうか。
末吉:数えきれないくらいありますね。特に印象に残っているのは、デビュー前に代々木公園でやっていたストリートライブ。立ち止まってくれる人に“今度デビューするんです!”と声をかけてステッカーを手渡していたんですけど、その場で捨てられちゃったりして。その悔しさがあったからこそ、今があると思うし、続けていたらひとりずつ観客が増えていって、5人、10人と広がっていくことに手応えも感じました。
――そんななかで、メンバーの関係性はどう変化しましたか?
末吉:実は僕、結成当初にほぼ全員とケンカしているんですよ(笑)。まだ子どもだったし、本当にくだらないことでつかみ合いになったり、一緒の寮だった西島とも言い合いをしたこともあったり。もちろん、男だけだったら殴り合いのケンカをして、がっちり握手をして終わりなんですけど、女性メンバーもいるから、そこまでハードなことはなかったですけどね(笑)。
【インタビューの続きは『AAAぴあ』にて】
(取材・文=黒田隆憲/写真=竹中圭樹【D-CODE】)
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