AAA、西島隆弘・浦田直也・末吉秀太・伊藤千晃が語る“これまでの10年とこれからの10年”

AAA西島・浦田・末吉・伊藤インタビュー

 2015年に結成10周年を迎え、今年“ネクスト・ステージ”への第一歩を踏み出したAAA。その足跡と未来への展望を明らかにするムック本『AAAぴあ』が、4月2日に発売された。同書は、リアルサウンド編集部のある株式会社blueprintで編集制作を担当。デビュー10周年アニバーサリーの締め括りとなった9月の富士急ハイランド3Daysレポート、7人の“NEXT STAGE”を見据えたインタビュー、AAAファンアンケートなどを収録。彼らの魅力をさまざまな角度から照らした一冊となっている。

 リアルサウンドでは、同書に収められたメンバーインタビューより一部を抜粋し、2回にわたって掲載。後編では、俳優としての活躍も目覚しい西島隆弘、リーダーとしてグループを支えてきた浦田直也、高いダンススキルでパフォーマンスのクオリティを高める末吉秀太、メイクやファッションの分野でも同世代から支持を集める伊藤千晃の、生の声をお届けする。

西島隆弘「よかったことも悪かったことも、すべてがいい経験になった」

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――あらためて、西島さんが音楽やダンスという表現に目覚めた経緯から振り返っていただきたいと思います。例えば、影響を受けたアーティストはいましたか。

西島:“影響を受けた”と言えるほど夢中になったアーティストはいませんでした。もちろん、尊敬するアーティストはいたし、好きな楽曲はあって、音楽を始めたきっかけは、ゆずさんの『夏色』を札幌の大通公園で弾き語りしたことですね。そのなかで、ストリートでブレイクダンスに出会って、独学で始めました。

――自分で情報収集をして。

西島:そうですね。今みたいにネット環境が発達していなかったので、雑誌の情報を頼りにしつつ、レコードショップでビデオを探したり。当時はDVDもなくて、VHSのビデオテープですからね(笑)。

――そうして多くのスキルを身につけて、西島さんは早くから地元発のボーカルグループで活躍されていました。avexのオーディションを受けようと思ったきっかけは?

西島:北海道だけじゃなく、全国で勝負したいと考えていたときに、たまたま『月刊デ☆ビュー』という雑誌で、HIRO(EXILE)さんプロデュースのオーディション企画を見つけたんです。応募期限が9月30日――僕の誕生日だったんですよ。これは何かのきっかけだと思って応募したら合格して、特待生になることができて。それで上京して寮住まいになり、レッスン漬けの日々でしたね。それから1~2年して、AAAの企画が出てきました。

――その時はどんな心境でしたか。

西島:もともとメジャー契約じゃなくて2年間の育成契約だったので、とにかく“このグループがデビューのきっかけになるんだ”という感覚でしたね。

――実際に活動がスタートすると……?

西島:最初はそれぞれのミッションをこなす、やれることをやる……というか、何かを自分で見出すというより、与えられたリングの中でどう表現するか、という感じだったと思います。

――それだけコンセプトがしっかりしていたということだと思いますが、西島さんとしては葛藤もあったのでしょうか?

西島:ある視点からすると幸せなことだと思うんですけど、アーティストとして考えると、セットリストや振り付けも自分で考えなくていい、というのは難しいところで。

――なるほど。自分自身の表現を考えることもしなければ、と早くから考えていたということですね。

西島:それに、Attack All Around=すべてのことに挑戦する、というグループ名ですから、そのミッションを遂行できる存在でなければいけないとずっと思っていて。やるべきことはきちんとやりながら、プラスαのチャレンジもできなければいけない――そういう重圧は感じていました。

――そういう責任の背負い方は、とても厳しくもあり、しかしグループとして活動する上での醍醐味でもあるように思えます。

西島:そうですね。そうやってずっと悪戦苦闘を繰り返してきましたけど、よかったことも悪かったことも表裏一体で、すべてがいい経験になったんじゃないかなって。悪いところはその時々で改善してきたし……あ、10年経っても変えられない部分もたくさんありますけどね(笑)。

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――AAAとして、あるいは西島さん個人として、この10年間でターニングポイントはどこにあったでしょうか?

西島:ターニングポイントというか、いちばんキツかったのは、3周年(2008年)の武道館2daysあたりですかね。僕はドラマ、舞台、ツアーが同時進行で、実は毎日、楽屋にお医者さんに来てもらって点滴を受けているような状況だったんです。

――本当にギリギリのところで仕事をしていたんですね。

西島:この時は余裕がなくて、ホントに何を頑張っていいのかよくわからなかったです。個人として、世間に自分が何を求められているのか――それが音楽なのか、芝居なのかもわからなくて。グループとしても大変な時期だったし、ただただ目の前のことを黙々とこなすことに集中するしかなかった、という感じかもしれません。

――そういう時期を乗り越えられたからこそ、今があるということですね。例えば、メンバー同士で話し合ったりもしたのでしょうか?

西島:そうですね、今は少ないんですけど、初期は何度も話し合ったと思います。これだけ個性的なメンバーが集まっているから、話は絶対にまとまらないんだけれど(笑)、今考えると、いろんなタイミングでお互いに歩み寄ろうとしてきたんじゃないかな。そんななかで、マジメな話、僕がワーッと忙しかった時に歩み寄ってくれていたメンバーもいて、でも僕はそこに気がつけなくて……というすれ違いもあったと思うんですよね。たくさんすれ違って、その中でそれぞれがいろんなものを感じて、10年間で関係を築いてきたというか。

【インタビューの続きは『AAAぴあ』にて】

(取材・文=黒田隆憲/写真=竹中圭樹【D-CODE】)

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