「アイドル好きアイドル」がシーンを変える? 指原莉乃、大部彩夏らの活動から考える

「アイドル自身がアイドルオタクであること」は、しばしば話題になるトピックでもある。昨年、48グループから卒業した松井玲奈はかねてから広くアイドルシーンをチェックし、自身が出演しなかった2014年の『TOKYO IDOL FESTIVAL』に足を運んでいた際にもその動向は話題になった。あるいはlyrical schoolの大部彩夏もまた、アイドルに対する思慕を様々な場で表明し、各メディアで彼女がアイドルオタクであることを前提にした仕事をこなすことも増えている。アイドル自身がアイドルオタクであることは、それ自体がひとつの際立った特徴として受け止められている。

 もっとも、もう少し一般化して考えればこれはやや特異な状況でもある。特定のジャンルに携わっている人が、自身の属しているジャンルに詳しかったり、そのジャンルを愛好することは本来、きわめて自然なことだからだ。他の音楽ジャンルの実践者が、自分のジャンルに詳しいというありふれた姿を想像してみれば、アイドル自身がアイドルシーンを研究していたり、好きなアイドルのライブに足を運んだりするような行動もまた、ごくごく自然であることに気づく。しかし、ことアイドルに関しては、アイドル自身がアイドルに詳しかったり愛好していることは珍重されてきた。その背景にはいくつかの理由が複合的に重なっているだろう。たとえば、大部がアイドルオタクとして立ち回るさまは、Twitter上で愛着を込めて「#ayaka_kimoi」というハッシュタグとともに展開される。この語句は、オタク趣味としてアイドルを愛好することが「気持ち悪い」とされがちなイメージ付けとも結びついているはずだ。そのような趣味嗜好が「アイドルらしくない」とされているのだとすれば、そこにもまた「アイドル」像のステレオタイプが持ち込まれているといえる。またアイドル好きのアイドルが注目されることには、女性アイドルを同性である女性アイドル自身が愛好することを珍しいことと捉える視線も関係しているだろう。その視線はまた、アイドルというジャンルが「疑似恋愛」という観点で語られてきた歴史、もっと正確に言えばアイドルというジャンルの魅力をヘテロセクシャルに基づいた性的対象としての要素のみに還元してしまうような乱暴な見方とも関わっている。

 もちろん、端的にいえばアイドルというジャンルが体現しているエンターテインメントやステージ上のパフォーマーへの憧憬は、そこまで単一の魅力でまとめられるほど貧困なものではない。また、グループアイドル活況をもとにした現在のアイドルシーンは、グループ内のメンバー同士の関係性が重要なコンテンツとして消費されるが、それは同時に他グループ間のメンバー交流の機会も増大させている。仕事およびプライベートでアイドルたちが交流し、そこで敬意を表しあうさまは、SNS等を通じて絶えず発信される。その意味では今日は、アイドルが他のアイドルをリスペクトする姿、他グループのファンとして立ち振る舞う姿は数多く見受けられる。もちろん上記した松井や大部に限らず、いまや「アイドル好きアイドル」とされる人物も多い。アイドルがアイドル好きであるという趣味嗜好自体が、アイドルシーン全般にとってますますごく自然なものになっている。

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