「アイドル好きアイドル」がシーンを変える? 指原莉乃、大部彩夏らの活動から考える

 アイドルがアイドル好きであることは、端緒としては他のアイドルの差異化として着目されたものだったかもしれない。ただ、この嗜好がアイドルシーンにとって真に価値を発揮するのは、アイドルが文化として歴史を紡いでいく、これからなのだろう。それを示唆するのは、アイドルの実践者である人物が、同時にアイドル関連のプロジェクトやイベントをプロデュースする側に立つような事例である。大部は2015年9月、アイドルのライブイベント『TOKYO IDOL PROJECT LIVE curated by lyrical school ayaka』(六本木ニコファーレ)で、キュレーターを務めた。初めはひとつの特徴でしかなかった大部の「アイドルオタク」という属性は、アイドルイベントのキュレーターという活動につながり、自己のみならず他のアイドルをどう見せ、どう接続していくのかという、運営的な立場へと活動の可能性を広げるものになった。アイドル自身がアイドルとしての活動をまっとうしたうえで兼業的に、あるいはネクストステップとして運営的なポジションに立つならば、アイドル当人にとってもシーンにとっても、幅の広さや風通しの良さを生むものになるかもしれない。

 もちろん、大部の務めたキュレーターとしての役割を見るとき、すぐにその先駆的な人物を思い浮かべることが可能だろう。それは2012年6月にアイドルイベント『ゆび祭り』を主導し、現在所属するHKT48では劇場支配人を兼ねる指原莉乃である。アイドル好きの少女だった時期に始まる彼女のアイドル好きアイドルとしてのストーリーはよく知られるところだが、指原はまたその嗜好をもとにした抜群のバランス感覚を、自身の立ち回りだけでなくHKT48を牽引する際にも発揮している。トップアイドルでありHKT48というグループの見せ方に少なからぬ関与をしている彼女のあり方はそれ自体で、「アイドル好きアイドル」が実現しうる未来の姿をすでにうかがわせているのかもしれない。次回は、その指原が「初監督」を務めたドキュメンタリー映画を考察し、「アイドル好きアイドル」の発展型がいかなる視野を持ちうるのかを見てみたい。

■香月孝史(Twitter
ライター。『宝塚イズム』などで執筆。著書に『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)がある。

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